当サイトにて掲載した『攻殻S.A.C. BD-BOX』の取材で、私が何かとお世話になったバンダイビジュアルの杉山潔プロデューサーだが、杉山氏と私の接点は『よみがえる空 -RESCUE WINGS-』であったことは既に書いたとおりである。
今回、某所にて杉山氏が、その『よみがえる空』について書かれている文章を読み、私は非常に心打たれ、「ぜひこの文章はもっと多くの人に見てほしい」と思った。杉山氏の許可を頂けたので、以下に転載したい。
『よみがえる空』のみならず、私が航空自衛隊の救難部隊を追いかけるきっかけとなったのが、1994年
12月2日12月4日に発生した救難救助機UH-60Jの墜落事故だったことは、これまであちこちに書いたり話したりしてきました。
北海道南西沖地震で被災した奥尻島の復興作業中に負傷した作業員を搬送するという、災害派遣任務のために千歳基地を離陸したUH-60Jが、進出途上で遊楽布 岳の頂上付近に墜落し、搭乗員5名全員が殉職するという事故だったのですが、この事故を伝える多くのメディア(特にテレビ)の論調が、「自衛隊は何をやってるんだ」というものでした。
実際には、悪天候によって道警も陸上自衛隊もヘリのフライトを断念し、最後に出動要請を受けた千歳救難隊が、緊急患者空輸という災害派遣任務としてUH-60Jを出動させた際の事故だったのです。つまりは民生協力のための出動でした。彼らが飛ばなければ、もう誰も負傷者を救出に行くことはできない状況だったのです。結果、5名もの搭乗員が殉職し、後に別のヘリで搬送された患者も収容先の病院で亡くなるという痛ましい事故でした。
事故はあってはなりません。しかし、当然のことながら、搭乗員にはみな家族がいました。中には子供が生まれたばかりの搭乗員もいたのです。こういった事実関係を調べもしないうちから、事故を起こした自衛隊はケシカランという論調で事故を伝えるメディアに、私は非常に憤りを感じました。そうした思いが『よみがえる空』に繋がったわけです。実際にアニメの制作スタートに漕ぎ着けられたのは、それから約10年後、紆余曲折を経ての 2004年のことでした。実際のオンエアスタートは2006年1月ですから、遊楽布の事故から約11年後ということになります。永年の念願だった作品を作り終え、内容的にも誇りにできる作品になったと私はとても満足していました。
放送が終わってDVDも全巻リリースし終わったある日、総務から内線がありました。『よみがえる空』について、お客様からお問い合わせメールが入っているので対応して欲しいとのことでした。私は転送されて来たメールを読み始めて驚きました。送り主は、遊楽布の事故で殉職したクルーの未亡人からだったのです。そしてその内容は、あの事故のことを何でも良いから教えて欲しいとのことでした。
文面からは切実なものを感じました。「なぜ夫は死なねばならなかったのか?」 その方は、夫の殉職について納得のできる説明を受けることなく、生活に追われ、小さかった子供たちを育てるのに必死だった日々の中で、夫への想いを封印して来たのだそうです。遺族に対する自衛隊の対応に不信感すら生まれる中で、そうしなければ前に進めなかったのだそうです。
ところが、事故当時小さかった息子が高校生になり、最近とみに父親のことを知りたがるようになったのだそうです。でも自分には父親がなぜ殉職したのか、明確に説明できるだけの情報がない。困っていた時、ネットで『よみがえる空』とその公式サイトの存在を知り、藁をも掴む思いでメールしたのだとのことでした。『よみがえる空』を作ろうと思ったきっかけとなった事故の遺族から、こういう形でコンタクトがあるとは思ってもいませんでした。驚くと共に、私は悩みました。
その事故のことは自分なりに調べてはいましたしそれなりに情報も持っていましたが、詳細な事故調査報告書が手元にあるわけでもなく、そもそもそれが手元にあったとしても、私から遺族に伝えても良いものかどうか判断が付きませんでした。それが新たな火種にならないとも限らないからです。
そこで、「私の手元には報道されたこと以上の情報はありません。もしお知らせできることがあればご連絡します」と返信し、『よみがえる空』のサンプルを一揃い準備して送ったのです。メールには「『よみがえる空』も買って視てみようと思います」と書かれていたのですが、失礼ながら母子家庭であれば裕福であるはずがないだろうと思ったからです。
数日後にその方から再びメールが来ました。そのメールには「『よみがえる空』を視て、心の中にあったわだかまりが少し解けたようです」と書かれていました。「自分は悪天候の中を飛ばした隊長や自衛隊を恨んでいました。でも、『よみがえる空』を視て、当時部隊の誰もが『怪我人を助けたい』という気持ちで任務についていたことを知りました。きっと自分の夫も最期まで、迎えに行くはずだった患者さんのことを気にかけていたのでしょうね」と。
涙がこぼれました。私がプロデュースしたのは、たかがアニメです。でも、そのアニメが一人の遺族の気持ちを少し楽にできたのなら、こんなに嬉しいことはありません。以前、千歳救難隊長にはこの話をしていました。遊楽布の事故を忘れず教訓とするため、事故当時の資料の収集と開示・保管、隊内へのモニュメント設置などを進めてきた千歳救難隊長なら、私の気持ちを分かって貰えるだろうと思ったからです。
そして、先日の忘年会の後、千歳救難隊長が「杉山さんに報告することがあります」と話して下さったことは、さらに心に沁みるお話でした。
今年、千歳基地で執り行われた恒例の殉職者慰霊祭に、その方がお子さんを連れて参列されたのだそうです。千歳救難隊長は私からその話を事前に聞いていたこともあって、自らが心を込めてそのご家族の接遇に当たられたそうです。そして帰り際、その方は千歳救難隊長に「迷いはありましたが、来て良かったです」と仰ったそうです。
ずうっと距離を置いてきた自衛隊、しかも亡くなった夫が勤務していた基地での慰霊祭。参列を決心するには色々と葛藤があったに違いありません。それでも、「行ってみよう」と心に決めたきっかけが、もし『よみがえる空』にあるとしたら、これほど製作者冥利に尽きる話はありません。
この仕事をしていて本当に良かった。心からそう思います。そして、そのお話を任地より持ち帰ってくださった千歳救難隊長に、心から感謝します。千歳救難隊長によれば、その方は最近、息子さんに亡き父親の航空自衛隊時代の遺品を見せたのだそうです。その結果として、息子さんは父の遺志を継いで航空自衛隊に入隊することを考え始めているそうです。
編集のためこの文章を読み返しているうちに、私の目にも涙が浮かんできた。
自衛隊というのは巨大組織であり、さらに危険と隣り合わせの任務に就いているため、残念ながら事件・事故とは縁が切れない。かつては「自衛官の子供」というだけでいじめに遭い、しかもそれを左の教師が扇動するようなことまであったという。当時から比べると今はかなりましになったと言えるが、それでも何か事故などがある度に「自衛隊が悪い」と言いたがるマスコミなどの風潮がある。先日の海上自衛隊護衛艦「くらま」と韓国コンテナ船「カリナ・スター」との衝突事故でも、とにかく海自側を責めようとするような傾向が見られた(例えば「くらまはもっと早く区付いて右に転舵すれば良かった」という意見があるが、くらま側から見ると左に曲がっている関門海峡であれ以上右に避けようとしたら、すぐ座礁することになっただろう)。もちろん批判されるべき点はされるべきだが、それ以前にどれだけの人が、自衛隊のことを正しく理解しようとしているだろうか?
最近だと『東京マグニチュード8.0』で陸自の災害派遣が取り上げられていたが、今でも私は『よみがえる空』は、アニメ作品として傑作であるだけではなく、自衛隊に興味を持つ人にとっての最高の入門作品であると思っている。
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