野良犬の塒
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野良犬の塒 押井守/プロダクションI.G作品 Wiki

15th Anniversary Production I.G WORLD TOUR 2002 押井守の世界

2002年4月20日に銀座ソニービルにて、Production I.G設立15周年を記念したイヴェント『15th Anniversary Production I.G WORLD TOUR 2002』が開催された。ここでは、その中の『押井守の世界』というステージを紹介する(写真はI.Gのページに掲載されている)。

イヴェントのゲストは押井氏の他に『人狼』監督、『攻殻機動隊』作画監督の沖浦啓之氏、『ミニパト』監督 および『人狼』演出の神山健治氏、『人狼』『ミニパト』作画監督の西尾鉄也氏。司会は『攻殻機動隊』『ミニパト』音響監督の若林和弘氏である。
まず順番に押井氏とI.Gの作品のダイジェスト映像が流され、それについてゲストが語るという形でイヴェントが進められた。

機動警察パトレイバー 初期OVAシリーズ(1・3・5話)

Production I.Gはタツノコプロダクションから独立した会社である。I.G社長の石川光久氏もタツノコ出身で、押井氏もかつてタツノコプロにいたわけだが(その後すたじおぴえろに移籍)、タツノコ時代は押井氏と石川光久氏の二人は面識がなかったそうだ。押井氏は、やはりタツノコにいた西久保利彦氏(『パトレイバー2』『攻殻機動隊』演出)から石川氏のことを聞いたらしい。
押井「アフロヘヤーの変な奴がタツノコに入ってきたって」
押井氏によると石川氏は「足が速いだけが取り柄」で、そのためタツノコに入社できたとか。当時タツノコプロは『タツノコガッチャマン』という野球チームを作っていたが選手不足 だった。石川氏は「君、野球できる?」と面接で言われ、できると答えたらタツノコに入れたらしい。I.Gではそれが「君、サッカーできる?」と受け継がれたそうだ。
西尾「僕はサッカーは出来ません」

押井氏とI.Gとの関わりはパトレイバー初期OVAからとなっているが、実はその前に押井氏がアルバイトでコンテを切った『赤い光弾 ジリオン』が、押井氏が関わった初のI.G作品になるという。押井氏がパトレイバー初期OVAの発注先を探していたとき、麻雀の席で西久保氏に押井氏が「I.Gって会社、どう?」と聞いたところ、西久保氏が「社長(石川氏)がケチだから安く上がる」と答え、それで押井氏がI.Gに決めたという話である。
押井「それが石川にとって不幸の始まり」
OVAの製作現場はかなり凄惨だった模様である。予算はない、時間はない。
押井「ブッちゃんのデザインは相変わらず上がってこないし」
その中でもよく作られていたというので、次の劇場版に続くことになる。

機動警察パトレイバー 劇場版

OVAで押井氏は黄瀬和哉氏という作画監督に出会い、「I.Gなら映画を作れる」という事でパトレイバー劇場化の時にI.Gで製作することに決めたという。
この映画は勿論ビスタサイズで作られたのだが、ビスタサイズのレイアウトをやったことがある人間が誰もおらず、とにかく「劇場をやるんだ」という勢いで作ったとか。だがこの時の現場は更に凄惨を究め、
若林「椅子に座って目が開いたまま寝ていた」
という話であり、押井氏も度々意識不明になったという。
押井「カラスが鳴いていなかったり香貫花のオートマグの絵と音が合っていなかったり。DVDで全部その辺直したので、持っている人は見比べて下さい」
ところで沖浦氏はこの映画の数カット、最後の遊馬が「野明~!」と叫ぶところあたりを引き受けたそうである。当時沖浦氏は大阪にいが、
沖浦「いきなり(石川氏から)電話があって、『(レイアウトを)送ったから』って。『やると言ってない、今忙しくって出来ない』と言っても『もう送ったから』って。それでポンプアクションのモデルガンと、17カット分レイアウトが送られてきました。仕方ないから3カットだけやって、後は送り返しました」
そしてこの作品のあと、押井氏は石川氏に「あんたとは二度とやらん」と言われたそうだ。

機動警察パトレイバー2 the Movie

しかしまたこの映画はI.Gで作ることになった。それはバンダイなのかプロデューサーの意図によるものか、押井氏は憶えていないそうだが。
映画では、予算は2倍になったが相変わらずスケジュールはタイトで、
押井「やっぱりひどいことになった」
動画枚数を増やすと予算も時間もかかるので、いかに動かさないで画面で物語を作るか、そこから押井氏のレイアウトシステムが出来てきたわけだが、この映画ではそのレイアウトが
押井「かなり成熟してきた」
また同時に押井氏は
押井「石川に切られない限り、I.Gでずっとやるぞ」
と決めたそうである。
さて沖浦氏は当時大友監督の『MEMORIES』に関わっていたのだが、押井氏が沖浦氏を期間限定で借りてきたそうである。
押井「でも僕は返す気は全くなかった」「『ヘリ、気持ちいいよ』って。『ヘリ、全部やって』ってやってもらった」
それで攻撃ヘリのロケットパス(ロケット攻撃しながらの通過)のシーンなどが沖浦氏(と村木氏)によって作られ、これはメカデザイナーの河森氏も喜んでいたとか。しかし戦車は予算不足で動かなかったという。
一方このころ西尾氏と神山氏はこの映画を「劇場で見てました」ということである。

攻殻機動隊

元々押井氏はこの企画の前に自分自身の企画、つまり『犬狼伝説』のアニメ化の話を出そうとしていた。それは後に 『人狼』となるわけだが、この『犬狼伝説』は全6話のOVAの企画で、そのうち一本、『野良犬』を沖浦氏に任せるという話をしていた。
押井「だけど『何で俺がやるんすか』って見事に(沖浦氏に)ふられた」
それで代わりにこの『攻殻機動隊』の企画が入ってきて、沖浦氏が(黄瀬氏と共に)作画監督を行うことになった。その頃は現場は成熟し、
押井「現場の苦労に反して監督の苦労は激減した」「ほとんどやることがなかった」
という。当時「もうこれだけの面子は集まらないだろう」と言われたほどの豊富な作画の人材が集まった。
押井「でも人狼で沖浦はそれ以上やったんだけど」「これがI.Gでやる最後の仕事になるという予感もあったんだけど」
若林「この時に西尾さん達は?」
西尾「劇場に見に行ってました」

人狼

押井「この作品は、押井守の世界と言うよりも沖浦の世界なんだけど、『攻殻』やってるときにさっきのOVAの話を『どうせなら劇場でやろうよ』って話になって、突然映画になった」「嬉しくもあり、困った。その時は 自分は『攻殻』制作中で出来ない、それに劇場一本やったら一年休むというマイルールに反する」
しかしこれは沖浦氏を監督にしたいという石川氏の話から、押井氏も「いいんじゃないの」と答えた。
押井「明らかに演出を考えて絵を作る人間だから」
だが元々この話は押井氏ではなく、伊藤和典氏が脚本を書くという話があったそうだ。
押井「でも伊藤君は犬の話は書かないから。『おいら書かない』って言ってたし、僕も(伊藤氏には)書けないと思った」
それに、押井氏以外の人間が脚本を書いたら、多分沖浦氏はなかなか脚本を通さないだろう。
押井「脚本出来るまでに一年かかるだろう、でも僕ならすぐ書けるから」
そしてバンダイと押井氏の戦いがあり、ついには押井氏は自分で脚本を書くことになった。
沖浦「まあそんな感じです」
そしてここでやっと神山氏と西尾氏がスタッフとして加わる。
西尾「初日に関係者入り口から入って観客席で見てました」
さて神山氏は元々美術からアニメに入り、それから演出に移ったところを沖浦氏に呼ばれて人狼のスタッフとなった。
沖浦「監督は初めてなので、補佐してくれるベテランの演出の人が良いんじゃないかという話もあったけど、新しいことをやるのに若い人の方が良いということで」
神山氏は『走れメロス』で同じスタッフとして沖浦氏と面識があったため、神山氏が呼ばれたそうだ。
また西尾氏も、人狼で沖浦氏に呼ばれた。
西尾「I.Gに打ち合わせに行く日にちを間違えて、それで仕方がないから沖浦さんと飲みに行きました」
若林「時間があれば人狼を、もう1年くらい作っていました?」
沖浦「もういいって感じです」

ミニパト

若林「個人的な話ですが、こういう押井さんの話は大好きです」「毎年やりたいくらいで。『今年のミニパトはちょっと違う!』みたいな」
押井「僕は脚本書いただけだから。一本4~5時間で。昼に会社に出て、夕方には上げて帰ってた」「蓄積したうんちくがいくらでも出てくるから。書きすぎて神山君が苦労したんだけど」「こんな楽な仕事はない、これでちゃんと印税も貰えるんだから」
ところで元々この話は人狼のジバクちゃんが元になっているというのはあちこちで何度も語られ、そして西尾氏が監督に神山氏を指名したということも知られているが、
押井「I.Gというのはそういう会社、監督が現場を選ぶのではなく、現場が監督を選ぶ」「アニメスタジオというのは大体一人の監督と共に動いて、監督の衰えと共に終わる。それではまずい」「それでI.Gでは沖浦とか神山とかの若手が育てられる 」

若林「時間がおしているのでここで予め観客の方にアンケートで書いて頂いた質問コーナーに入ります。ごらんの通り押井さんは喋りすぎるので押井さんには質問しません。沖浦さんへ。監督業の苦労は?」
沖浦「忘れました」
若林「西尾さんへ。酔うとどうなるんですか?」
西尾「悪人になります。同業者の悪口言ったり毒吐きまくって、布団の中で大後悔してます」
若林「神山さんへ。ミニパトで苦労した点は?」
神山「押井さんの脚本の、某出渕さんへの悪口をどう薄めるかで苦労しました」
若林「某になってないです。質問コーナーは以上です」

押井「(沖浦氏が「忘れました」と言ったことについて)映画と麻雀は反省しても無駄、良かったことだけ憶えてる。絶えず攻勢に出なければ」
若林「貴重なご意見有り難う御座いました。でも私は麻雀では反省してます」
西尾「今現在押井さんの次回作で苦労している僕は、このことを忘れることが出来るのでしょうか」

押井氏の麻雀は勝つまで止めない麻雀だという話だが。

さて押井氏はこのあと、『サーヴィランス/監視者』のトークショーにも(冒頭だけ)出演して少し(かなり?)喋った。まず押井氏はBLOODシリーズのゲーム版 『BLOOD』について語った。「いわゆるメディアミックスだが、企画だけ作って余所の会社に発注するのではなく、全部同じ現場から作るのに意味がある」だが押井氏はゲームを作るのは止めた方がいいと石川氏に言ったそうだ。「ゲームの世界は恐ろしい、失敗したら会社が傾く」「作ってみないとモノが出るか出ないか判らない」「自分でゲームを作った経験があるが(サンサーラ・ナーガ)、あの頃はのどかだったなあ、それなりに修羅場だったけど」「RPGを作るのがいかに大変か思い知ったから、作るならアドベンチャーにしとけばと」
ともあれ「一番(スケジュールが)おすと思っていたゲームの『BLOOD』がスケジュール通りに出たのが驚いた」というのが押井氏の話である。
『BLOOD』は言うまでもなく複数の制作者によって小説、映画、コミック、ゲームが作られたが、
押井「いち、にの、さんで合わせたら(設定などが)全然違う」
ところで押井氏によれば、現在進行中の別のBLOODの企画もあるそうである。

そして『サーヴィランス』に対する押井氏の感想だが、「簡単で良くできたシステム」という事である。このゲームは複数の監視カメラを操作し、そこに登場する重要な場面を見逃さずチェックするというものだ。例えば人質を救出に向かう特殊部隊を支援する場合、人質を監視しているカメラ、テロリストを写しているカメラなどがある。そしてある時間、人質が不審な動きをして武器を持っている場面が映されるのだが、その時にそのカメラを操作してその場面を記録していないと、後でその人質に特殊部隊員がやられてゲームオーバーになってしまう、というような感じである(*1)

原註

  1. 編者は後でこのゲームのデモを見たが、「人質の拘束をその場で解くなど対テロ作戦の基本もわかってねー」「銃の持ち方がど素人だ、そんなんで撃っても当たらんぞ」とか思ったが。

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