キング・アーサー

私はアーサー王伝説マニアである。アーサー王伝説関連の本は何冊も(研究書ばかりだが)読んだ。それで当然の帰結として、映画『キング・アーサー』にもそのタイトルを聞いたときから興味を示したわけだが、実際に見に行くまでには非常に悩んだ。何せ、あの予告編を見ただけで不安を煽るに十分のものだったからだ。
「何故にグィネヴィアが弓を? 何故にランスロットが二刀流? しかもアーサー王にため口?」
とてもこんなのに映画入場料を賭ける気にはならなかったのだが、マイシスターが「映画館につれてけ」と騒ぐので、散々躊躇した末、この映画を見ることにした。

監督がこの映画を「七人の侍をモティーフにした」という話を聞いたとき、私は「はぁ?」と思った。アーサー王伝説と七人の侍のどこに共通項があるというのだ?
それで実際にこの映画を見て思ったことは「要するに制作者は、アーサー王伝説を描く意志などこれっぽっちもなかったのではないか」ということだ。
アーサー王伝説の要素は全然出てこない。かろうじて円卓が出てきて、ランスロットやガヴェイン、ボース(ボルス)といったアーサー王伝説に登場する騎士の名が出てくるだけ。一応マーリンはいるが魔法使いでも何でもないし、聖杯やエクスカリバーなどのアーサー王伝説に関わる有名なモティーフもまるでなし。単に、宣伝文句としてアーサーの名前を使いたかっただけではないか、と。

しかし考えてみて気がついた。これは、史実のアーサーを描き出す映画だったのではないか、と。アーサー王は架空の宮殿キャメロットを根拠地とし、ブリテンを統一してヨーロッパにまで勢力を拡大したという架空の王である。だが、このアーサーのモデルになった人物は実在したというのが通説だ。そして実在のアーサーは王ではなく軍隊の指揮官であり、ローマがブリテンから撤退した後、ローマ・ブリトン人を指揮してサクソン人の侵略をベイドン・ヒル(南部イングランドのどこかであろうと考えられている)で撃破した人物であろう、とされている(ピクト人の侵攻を防ぐため、傭兵としてブリテンに招かれたサクソン人が反乱を起こし、それをアーサーが鎮圧したらしい)。
そうすると辻褄があう。この映画のアーサーは丁度ローマの撤退期にブリトンに駐留していた指揮官で、ブリトン人とローマ人の混血であるとされている。史実のアーサーも、丁度ローマの撤退と全く同じ時期に居合わせたかは不明だ(本当は多分違い、ローマの撤退後と思われる)が、ブリトン人とローマ人の混血ではあったらしい。そして史実のマーリンは(勿論魔法使いではなく)アーサーの助言者として実在していたとしたら(恐らく実在しなかったろうが)、その人物がブリトン人であったという可能性は十分あるし、ガヴェインといった人名の騎士がアーサーの配下に実際にいたという可能性も十分にある。なるほど、これは「史実のアーサーはこうだったのではないか」というのを描いた映画なのか。

じゃああのアマゾネス・グィネヴィアは何なのよ。

んで、後から見てみると、グィネヴィアは字幕ではブリトン人になっていたが設定ではピクト人であり、ピクト人は女性も戦いに参加していたらしいのでおかしくはないという理屈だそうだ。だがまあどうせアルウェンよろしくハリウッド的「戦う女性」を描きたかっただけだろう(アマゾネスの国はスキタイもしくは黒海沿岸の小アジアに実在したという説もあるが)。ピクト人の語源“ピクティ”は“ペイントを塗った者”の意であり、戦いに出る前に戦士達が裸の体にペイントや入れ墨を施すケルトの習慣が元であろうとされている。しかしうちの資料では、ピクト人は女性も戦いに参加していたという記録はないし、そもブリトン人がピクト人と同盟したという話も聞いたことがないが……。
それに、円卓騎士にトリスタン(トリストラム)の名前があるのもおかしい。『トリスタンとイゾルデ』の物語で有名なトリスタンは、後からアーサー王伝説に組み込まれた人物だからだ(トリスタンのモデルは、780年頃のスコットランドのピクト人の王タロールフの息子ドリストであったと信じられている)。ランスロットなどの名も、初期のアーサー王の物語(『ブリテン王列伝』や『ウェールズ年代記』)には登場していないはずだ。

まあそんな差異をつついても余り意味はないが、最大の問題は「史実の再現」をやったとして、それが映画として面白くなければ意味はないということだ。
そもそもアーサー王の魅力は何かといったら、ケルティックな神秘性ある物語と騎士道、アーサー王の英雄像ではないのか。それがごっそり削ぎ落とされ、代わりに付け足されたのが『七人の侍』? しかしキャラクターの描き方はどうだったのだろう(白状すると映画の途中でうつらうつらしてしまって良く覚えていない)。あと、やたらと繰り返される“自由”“自由”というかけ声が鬱陶しかった(当時そんな価値観はない)。

あと、何と言っても戦闘シーンの描き方がお粗末だ。『ブレイブハート』の劣化コピーでしかない最後の戦闘は勿論、氷河の上での戦いなど都合良く割れる氷を前に失笑を禁じ得なかった。ご都合主義といえば「煙を焚いて、煙の中から奇襲する」という戦法を取っているのに、丘から見下ろすアーサーには綺麗に戦場が見通せているなど漫才ともいうべき事態である。

結局アーサーの名前を使ったブレイブハートの劣化コピーか。聖杯は出なくていいから、円卓騎士団の崩壊、アーサーとランスロットの戦い、モルドレッドとの死闘、アヴァロンへ去るアーサーといったところを描ききった映画が出ないかなあ。