プラスティネーションについて

押井守氏が『イノセンス』のロケハンで行ったというプラスティネーションについて、以下のサイトで書かれている。

米国初の『人体の不思議』展:批判や噂も

イノセンス創作ノート 人形・建築・身体の旅+対談で触れられていたが、死体をプラスティネーションという技法で腐敗しないように保存し、血管だけの死体や筋肉の露出した死体など、様々な死体の展示をしていたものだ。写真も先のサイトに掲載されている。

それで、この記事を読みながら一人考えたのだが「どうして人間は、死体を“気持ち悪い”と思うのだろう?」ということだ。肉食をするのであれば、他の生物の内臓や死体などを見ることもあるはず(勿論人間以外の、だが)。なのにどうして人間は、人間の臓器や死体を見ることをこれほど忌むのか?
現在の社会で我々が食する肉は、臓器や死体といったものが連想されないように加工されたものであり、牛の屠殺風景など死体を直接処理している様子はやはり嫌悪感を覚えるものだ、つまりもともと人間は死体を忌むように出来ている、とも考えられる。だがこれでは、“何故そうなっているのか”という答えにはならない。

それで思ったのだが、死体とか内臓とかは“危険を示すもの”だから本能的に忌むようになっているのではないか。人間が負傷して臓器が見えると当然非常に危険な状態であるから、それを避けようとするための本能として、臓器などのイメージに結びつくグロテスクなものを忌避するようになっているのではないかということである。
カラスは、カラスの死体があるところには近付きたがらないという話を聞いたことがある。そのためカラスよけに模型のカラスの死体が使われることがあるそうだ。カラスも仲間の死体があると、そこに危険の兆候があると判断するから近付きたがらないのだろう。これと同様に、人間も人間の死体を忌むのかもしれない。まあ私は心理学も何もかじったことはないので、単なる憶測だが。

あとは、これも『イノセンス』で語られていたが、死体(のようなもの)がもしかしたら動き出すのではないかという想像による恐怖の故か。

追記 人体の不思議展 日本でやっているやつ。写真もある。