昨日放映された『BSアニメ夜話 機動警察パトレイバー 劇場版』を見て一つ思ったことを書きたい。
「帆場の動機は、帆場を追う刑事2人が歩くシーンの背景美術にある」と番組内で語られていたが、この事は映画を見た当時私には理解できなかったし、いまだに理解できていない。これは私が、当時も現在も(本質的な意味において)東京という都市と何の関わりも持たない人間だからかもしれない。だから私にとって「東京の失われつつある風景」など知らないし知ったことでもないし、古い東京が破壊され新しい東京が生まれているということについて何の感慨もない。この点からすると、帆場の年齢設定が何歳だったか忘れたが、帆場という決して高齢ではない人物、しかも留学していて東京にずっといたわけでもない人物が、どうして東京という都市に執着し、新しい東京に憎悪まで抱いていたかがどうしても理解できないのだ(刑事が東京をさまようシークエンス自体は好きなのだが)。
逆に番組内で「柘植が、部下を死なせたことについて復讐しようとする動機がわからない。部下を死なせたのは自分の責任ではないか」という意見があったが、この柘植の動機は私にはよく理解できる。ただ、私に言わせると柘植がやりたかったことは"復讐"ではない。とにかく柘植は、戦争という現実から目を背けている人々に対して叫びたかったのだろう(押井氏は「遠吠え」と書いていたはずだ)。復讐が目的ではないから、可能な限り人は殺さない。単に「貴方達はそんな曖昧な"平和"の中にいるんだ」と叫びたかった。そして叫んだところで、その叫び声を聞いた人々にどうにかしてほしいとか、そんなことを期待していたわけでもない。ただ叫びたかったのだ。
私にも当時(今もだが)そういう思いはあったし、軍事や国際情勢の知識がある人は、皆そういう思いがあったのではないかと考えている。
n
あくまで私のみた「帆場の動機」ですが、「パト1」が製作された当時は、バブル華やかな“地上げ”というものが、まだ行なわれていた頃だったと思います。「刑事2人が歩くシーン」とういのは、その地上げで、建設予定も固まらぬうちから金のために、とにかく用地を確保するという、無闇矢鱈な取り壊しが行なわれていた景色を連想させます。帆場が留学から帰ってきてみたら、生まれ育った町が、止めるも者もなく、土建屋(ヤクザ)にめちゃくちゃにされていたところから、HOSによる犯行を考えたのではないかと…。