さて次の企画は - 劇場版Ζガンダムでの富野と宮崎の教育観の違い(続き)
こちらで『天使のたまご』『イノセンス』などについても触れられているので紹介。
……というよりも、今回入ってきた情報で一番、面白いのは鈴木敏夫プロデューサーの変節かな? 『東小金井塾』ワークショップや「海が聞こえる」の頃や「シニアジブリが云々」とか言っていた頃は少なくとも若手を育てようという意識はあったのかも知れない。けれど、徳間から独立した後のジブリの会社の組織構成や、「イノセンス」が失敗した後の「立喰師」に対する態度とかを見ていると、もう鈴木敏夫自身も「ジブリ内で若手を育てることをあきらめているのかもしれないな。
「天使の卵」が大失敗して、アニメージュビデオをぶっ潰したというのが、唯一の鈴木敏夫のトラウマであったとおもう。鈴木敏夫のトラウマは押井守の周囲に存在するのだ。その意味でビジネス的な観点から「押井を宮崎の後継者に」と鈴木が思っていた節は、諸処にみられたのだけれども、結局、「イノセンス」でも失敗してもう精も根も尽き果てたのかも知れないな。「ハウルの次の新作は新人監督」だそうだが……。
この記事では、宮崎駿によるスタジオジブリ内での独裁体制について触れているが、このことについては押井守氏も『宮崎駿の世界』の中にある対談で多く触れている。
例えば、ジブリで宮さんに口答えする人間がいるとは、僕は思えない。恐らく、口答えした人間はとっくの昔にはじき飛ばされてるか、頭に来て辞めてるか。僕が一番嫌だったのは、教育っていう名の注入もそうなんだけど、そういう組織につきもののスケープゴートってあるわけじゃないですか。誰かを血祭りにあげて、そのことで結束をはかるっていう。僕は小説にも書いたけど、暴走族からボルシェビキ、革命党に至るまで同じことをやってるんだよね。必ずスケープゴートを作り出す。誰かを血祭りにして、人民裁判にかけて、結束をはかるっていうさ。あとは密告だよね。この二つは、ついて回るんだよ。
それが、当時で言えば日本共産党であり、中国の共産党であり、ロシアの共産党であり。そういうものを自分たちは拒否するんだって。スケープゴートも要らなければ、密告するようなものも要らないんだって。僕はそういうつもりでやってきた。今、実際には小さい党派といえどもリンチもあれば、密告もあれば、やってることは警察だって一緒だったわけでしょ。
(『宮崎駿の世界』押井守×上野俊哉対談より)
ウラタ
突然失礼します。サイゾー立ち読みしてて押井監督がまた押井塾を開き作品を1本作る、というのを読んだんですが、それにアニメーション雑誌と連動して云々と書かれていたように思うんですが詳しいこと知っていたら教えてください。後ジブリ(鈴木P?)の立喰師にたいする態度というのは具体的にどういうことでしょう?
産直
>>ウラタさん
引用文の内容についての質問は引用元のサイトの方(こ
の場合は乙木一史/otokinoki氏)にされるのがいいん
ではないでしょうか。
ウラタ
お門違いな質問でした恐縮です。ここのサイトの方は詳しいのでつい書いてしまいましたすいません。産直さんご指摘ありがとうございます。
おばちゃん
批判できるのは高畑監督。高畑監督が「千と千尋」を観て「映画との距離がとれていない。」と言ったので、「ハウル」のレイアウトが昔のロシア映画やヨーロッパ映画のようになった。私は「パクさんに距離がないと言われたくない」と宮崎監督がずっと考えながら絵コンテを何回も切り直していたのがよくわかるなと思って、映画館でずっと笑っていた。
いろんな手法を使って宮崎監督を刺激する仕事は鈴木氏が担当。「もののけ姫」は企画段階ではほのぼのとした昔話のようなスケールの小さな作品になるはずだったが、アニメージュのスタッフを押井監督のところに行かせて「なんで今こんな作品を作るのかわからない」というインタビューをとってきて「もののけ姫」の制作発表の特集ページの中に載せた。結果、「もののけ姫」は全く内容が違う作品となって完成した。笑う作品じゃないのに、この作品を映画館で観た時、宮崎監督が馬車馬のように仕事をしているように思えて、私はひとりずっと笑いを噛み殺しお腹をおさえていた。(押井監督が鈴木氏は悪いことをいっぱいやっているというのは、これらのことをさしていると思われる。)
近藤喜文監督がもう少し長く生きてくれれば、宮崎監督と対等に議論できる人になったと思うのだけど。宮崎監督は粛正しているつもりはないのだろうけど、東大仏文卒で膨大な量の文献を読み込んでいる高畑監督から「理屈が歩いている」と評されている人なので、なかなかあの人に勝てる人はいないのじゃないかと思う。勝つためには、相当な理論武装しないとね。ちなみに押井監督は「理屈が自転車に乗っている」ような人だと高畑監督は言っているそうだ。