原案・脚本押井守、監督西久保瑞穂(利彦)で、宮本武蔵を題材とした劇場アニメ『宮本武蔵-双剣に馳せる夢-』をプロダクションI.Gにて制作中であり、2009年に公開予定であるという。
実写の『斬~KILL~』に引き続き、押井氏はアニメでも(直接監督はしないとはいえ)チャンバラの世界を描くことになるわけだが、現在公開されている具体的な情報と、過去の情報から、押井氏が何を描こうとしているのかを想像してみたい。
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『宮本武蔵-双剣に馳せる夢-』は、原案・脚本が押井守氏。監督は、『機動警察パトレイバー2 the Movie』から『スカイ・クロラ』まで、長らく押井守劇場アニメの演出を担当してきた西久保瑞穂(利彦)氏。作画監督は黄瀬和哉氏。キャラクターデザインは『キル・ビル』アニメパートの監督を行い、『サムライチャンプルー』などのキャラクターデザイン・総作画監督を担当した中澤一登氏。制作はプロダクションI.G。
スタッフ陣を見ると、黄瀬氏が作画監督をするということで劇場版『BLOOD THE LAST VAMPIRE』を連想するし、西久保氏と黄瀬氏の組み合わせというと『お伽草子』も思い出される。
この企画は、2004~2005年あたりに一度噂されていたものと元は同じなのではないかと連想される。当時の企画は一度潰れてしまったが、脚本押井守、監督西久保瑞穂の組み合わせが、やっと日の目を見ることになったわけだ。
今回の『宮本武蔵』では、兵法書「五輪書」を軸に真実の宮本武蔵に迫り、中世の騎士道や馬上剣法などを描くという。では、押井氏は具体的に一体何を描きたいのだろう。かつて編者が『アヴァロン』劇場公開直前に押井氏に行ったインタビューに、そのヒントが隠されているように思う。このインタビューは2001年のものになるため随分古いが、今読んでも非常に興味深い内容になっているので、(当時の私の文章のまとめ方が稚拙で恥ずかしい限りだが)引用してみたい。
押井 やっぱり剣だ槍だも集団戦闘の世界だったんだよね、基本は。歴史を見てみると実際には98%は集団戦闘の武器であって、そういう意味で言えば銃器や火砲とかと変わらないよ。槍なんてのはどう考えても集団戦闘用にしか作られていないんだから。盾もそうだよ。RPGでやっている剣と魔法の世界の、鎧付けて盾持って剣持ってってのは全部嘘だからね。あんなんでチャンバラやれる訳が無いんだよ。元々盾ってのは密集体型のために生まれたものであるし。そういう事を言い立てればきりが無くなる訳で、アニメやら何やらでも散々やってきたけど。いかがわしい甲冑とかね、こんなぶっといソードとかさ(笑)、ああいうものは大嫌いだよ。あんな物でどうやって戦うんだって。そもそもだから絵柄に走っちゃえばああなる訳だけど、見栄えが良いからね。だから巨大な刀とか、お姉ちゃんがこんな幅広のソードとかさ。あれはだから確かにあるのかもしれないけど、形自身を無制限に野放しにしちゃうとね、剣だ鎧だというものの本質を失っちゃうよね。だから自分で自分の首を締めているんだよね。そういう意味で言えば甲冑とか刀剣とかさ、そういう意味で言えば興味があったし、お勉強もさせて貰ったから、好きで資料も集めたし。アニメや映画に出ているのは全部嘘だから。「嘘は嘘でいいじゃん」っていうのはみんな言うんだけどね、「嘘は判っているけど、楽しければいいじゃん」って。僕はだからさ、映画には何のためにリアリズムが必要なのかっていう話だよね。嘘であればあるほど説得してほしいんだよ。見た瞬間に嘘しか感じない物は嘘とは呼ばないんだよね。それは本当の大馬鹿やるんだったら別だよ、それだったらこんな包丁みたいな刀ぶら下げても誰も文句言わないんだけどさ、それで片っぽでちゃんとドラマやろうとするからとんちんかんになってくる。
―アニメだと本物の鎧は描けないというのもありますからね。
押井 いや、それは描かないだけ。描かそうと思えば描かせられるし、描ける人間もいるし。ある意味で言えば、アニメでチャンバラをやるメリットがどこにあるのかという話だよね。それはアニメの方がチャンバラの本質を描けるから。実写の方がチャンバラ難しいんだけどさあ。
―チャンバラの本質というのは?
押井 チャンバラの本質、刀剣の魅力というのかなあ、間合いの魅力だよね。戦闘ってのは基本的に全部間合いのものなんだけどさ。どんな戦闘も戦術も、間合いを巡って練りこまれてきたから。戦闘の本質も戦術も間合いに尽きるよね。間合いを表現するという事で言うと、刀剣が一番表現しやすいんだよ。銃器よりも刀剣が一番表現しやすい。そのためには自在に制御する必要があるんです。刀剣を扱う人間も、刀剣それ自体も。実写じゃ無理だよ、人間の能力が追い付かないからね。アニメだと制御出来る。大体ね、おおよそ逆なんだよ、いつも言うんだけどさ、「アニメだから誇張してやるべきだ」というのね、アニメだからとんでもない巨大出刃包丁を女の子が振り回していたりさ、アニメだから出来るんだというとそれは違うんです。アニメだから実写のチャンバラ以上の事がやれるんです。逆に実写であんな幅広の剣を振り回していたら面白いと思うよ、やれるもんならやってみろっていうね(笑)。そもそも映画のチャンバラの99.8%は全部嘘なんだよ。100%嘘だよ。『座頭市』から何からね。リアルなチャンバラなんてどこにも無い。大体日本刀自体みんな誤解しているしね。刀剣に対する誤解というのは洋の東西を問わない。あんなチャンバラで人が殺せる訳が無いです。そういう事でいうとみんなが知らないチャンバラを研究して勉強してリアルな物を描けば、一番ファンタスティックに決まっているしね。
それがリアリズムっていうもの、フィクションといっても本当の物なんだよ。『人狼 JIN-ROH』と一緒で、地味な事を真面目にやるとどうなるかというと、巨大な異世界が出来るんです。全部調べたから、嘘だろうと全部調べたから。勿論逆に資料に捕らわれちゃうとどうしようもないけどさ、考証をやっている訳じゃないからね。そういう実物はどうだったかという事を知るとね、頭で考えた事がちゃちにしか見えないんだよ。調べて突き当たった真実や事実を、虚構化して作ったものに入れ込まれた所に感じる醍醐味というのがさ。空想で全部を作り出しちゃうより、遥かにやりがいもあるし、面白さもあるという事を言いたいんだよ。だからさ、おおよそいかがわしい嘘八百並べて商売している訳だけど、だからこそ現実はどうなのか、事実はどうなのか、そこからしか出発しないんだよ。そう考えるとね、調べた事の無い人間がさ、甲冑描くなんて冗談じゃないよと。肩も上がんないじゃんって。今描かれている鎧なんて、おおよそ非合理の最たる物だから。あんなの着てチャンバラやっている訳なんてある訳無いじゃんって。一旦調べてとことん突き詰めた現実とか事実とかというものを、いわば叩き潰すというかね、塗り込めちゃう所に嘘の醍醐味がある。根も葉もない嘘って言うけど、根も葉もある嘘じゃないと駄目なんだよ、映画というのは。根も葉もない嘘を映画で吐いても感心しないし面白くもないよ。根も葉もある嘘を吐くとね、みんな大喜びするんです。―現実を構築する事でしか虚構は作れないという事ですよね。
押井 そう、現実から出発する事でしか嘘が作れる訳が無いんです。現実があるから嘘がある。おんなじものだよそれは、両方とも嘘だったら何もない。アニメとか映画とかで元々ね、根拠の無い物なんだよね、根も葉もない最たる物なんであって、だから説得力をどこに求めるかというとそういう事でしか求められない。そんないい加減なSFやアクションだっていうアクションの世界だからこそね、時代背景をどうするとかさ、考証をどうするとかそういう意味を持たせられなければ、本当の嘘が出来る訳が無いです。『エクスカリバー』なんて映画もそうだよね、映画の中でやるから上等、最上等の部類に属するんです。良く考えて作ってあるよね、あれも嘘には違いないんだけどさ。あの犬面のマスクとかね、ああいうのは実際に本当にあるんだけどさ、チャンバラで斧で戦ったりとかさ、斧で決着を付けるとかっていうのもあれが正しいんです。棍棒で殴った方が早いっていうのもね。失神しちゃうから、衝撃で。そういうもんだったんだよ、投石される方が堪えるんです。あの甲冑をぶち抜けたのは石だけだから。石で甲冑をぶち抜くというのは教会が禁じたんだけどさ、あまりに残酷だっていうんでね。
そういう意味で弩 (クロスボウ)が発達したんだけどね。それはアーマープレートをぶち抜くというのは弩じゃないと不可能だから。至近距離だと脅威だよ、戦車兵にとってのRPG(対戦車ロケット弾)みたいなもんだよ。そうじゃないとあんな手間暇かかる弩をさ、誰が装備するのかという話になる。そういう事を突き詰めていけばもっと面白い映画が一杯出来る訳でしょ? 鎧を来た人間がチャンバラちゃんちゃんやるよりよっぽど面白い映画になる。あの甲冑でどうやって集団戦闘をやるのかとかね。そこから先が演出の世界、そこから先が演出が自由に妄想を膨らます世界。弩並べてさ、待ち伏せ してさ、突然射掛けるとか。これは銃撃戦より面白いと思っている。但し、再装填に物凄い時間がかかる。仕損じたらその場で弓兵は死ぬしかないです。それには槍を持った人間で守らないとならないんです。元々長槍自身がそうだよね、刺すための物じゃないから、相手を叩くための物だから。間合いを詰めさせないための物だったんですよ。それで投槍が発達した。間合いを解消するために。
だから刀剣なんてのはね実際にはね、長剣 なんてのは儀式用であってさ、長さにも限界がある。その間合いでしか扱えない物なんです。そういうのは僕でも知っているくらいだからちょっと調べればすぐに判るんです、一杯本も出ているしさ、何でそういう事やんないのかなって。嘘の方がいいと思っているんだろうけどね。そういうのがだから間違っているというかね、嘘の醍醐味が判ってないという。見る側がそういうもんだと思っているからさ、どちらにも何の意外性も無い。見る側も作る側もおんなじルールで作っているからさ。おんなじルールに従って作られた嘘を見る事ほどつまんない物は無いです。嘘っていうのはルール違反だから面白いんだよ。ルール違反にするためには知識を極めるしか無い。兵器を扱うっていうのもそういう事なんだよ、兵器をどう描くかをお勉強するかっていうのは自分で編み出すしかないんだけどさ、いくら映画観たってね、戦車の事は判んないよ。歴史を見ないと判んないです。以上の話は、西洋の武具における戦闘を中心について語られているため、宮本武蔵の「五輪書」をもとにするという今度の映画『宮本武蔵』とはまた違うとは思うが、押井氏が描きたいものは本質的には変わっていないと思う。生憎私は五輪書に関してはよく知らないためこれ以上のことについては語れないが、五輪書については研究書などが多数出版されているようなので、そちらを見てみるのも面白そうである。
コメント
ドイツ史マニアさん
まず日本刀ですが、知られている方も多い通り、一度血のりが付くと切れなくなります。一本で切れて二人程度です。足利将軍が織田の兵士に囲まれたとき、畳に何本も日本刀を突き立てて、向かってくる兵をなぎ倒しましたが切れなくなれば終わりです。日本刀はかみそりのように研いであるためよく「切れ」ますが、刃は一回きりです。タイマンでしか使えません。白土三平「カムイ伝」を読むと分かるように、タイマンの戦いでも袈裟懸けでばっさり切る、ということはありません。指を一本落とす、小手を払う、という切っ先と間合いの勝負です。指が一本なくなれば戦闘意欲はなくなりますし、そもそも刀を握られません。こんな勝負がリアルですが映像にすると地味すぎる上に速すぎて見えないので描かれないのでしょう。剣道七段の動画を動画サイトで見れば如何に動かない間合いの勝負をしているかがよくわかります。こういうものを監督がどう描くか楽しみです。現在の軍兵士がコマンドナイフのような短刀を持つのは長い得物にあまり意味がないからです。
中世の話に移りましょう。
まず騎馬戦ですが漫画であるような百人単位のものなんてありません。10から多くて30名で闘います。なぜなら領土が小さく貧しいためです。甲冑はもしフルプレートを着る場合、30kgはあるため一度落馬することは死を意味します。よく見るごつい鎧は儀式用のものです。戦闘は儀式的な面が強く必ず音楽隊がついていました。普通の戦闘ではレザーのブレストプレートが良く使われました。軽いので相手より先に攻撃できます。二つ目にソードに刃は付いていません(サーベル、カタール等一部を除く)。刃の重みで相手を「断ち切る」のが基本です。これなら何度でも使えます。長さもせいぜい腕一本分ない程度です。ヨーロッパの武器は殴打するもの(モーニングスターや棍棒)が基本です。石弓はプレートを打ち抜きますが装填に時間と力が要るため、一度打ったら得物を持ち替えます。
神聖ローマ帝国が建てられ、領主達がやることがなくなる「名誉」のために公開決闘をするようになります。基本はレイピアを使うフェンシングで足は狙いませんでした。殺す必要がないので。ヒキョウなやつが一度足を狙って勝って以来、みんないたいのは嫌いなので鎧がどんどん重層になるという歴史が続きます。当然武器も重いものへ変化していきました。最終的にはタイマンでフルプレートにバトルアクスを持つスタイルまで行き着きますが、ほとんど身動きなんて取れません。このような決闘の歴史もせいぜい200年程度です。中世は基本的にみんな貧乏なので装備も貧乏でした。漫画やゲームのようにフルプレートの軍隊など存在していません。ロングソードなんて重くて振り回せないし間合いをつめられたら意味無しです。
むしろレザーアーマーにショートソードの闘いはローマ時代のほうが盛んです。映画「スパルタカス」はかなりリアルに描かれています。