ふらりとネットを見ていたら、画面レイアウトについて興味をひいた文章があったので、私も少々触れてみたい。
タユタマ 第2話で多用されている横向きの画面の意味 - WebLab.ota
こちらでは「重力」という言葉を使って「横向きの画面の意味」を論じているが、私はこの画面構図の意味について(重力の話を否定するわけではないが)、もっときわめて単純に解釈していた。
画面を横向きにしたのは、美少女アニメとしては「キャラクターの全身を、可能な限り切れ目無く映してあげたい」というのがあるからだと思う。アニメにおいてすべて同じことが言えるが、美少女ものの場合は特に「服装まで全部含めてキャラクター」である。キャラクターの顔や髪型だけではなく、ロングスカートかミニスカートか、靴下かストッキングかニーソックスかという違いも、キャラクターの(性格を含めた)表現にとって重要なポイントである。頭からつま先まで全部ひっくるめてキャラクターの魅力であり、それを完全に再現するには、画面(キャラクター)を寝かせた方がいい。人間の目は、横に広くものを見るようにできているのだから(人間は、空や足下の脅威よりも地上の脅威に対応するための進化を経てきたのである)。
ところで、当サイトの主題である押井守作品についての話をすると、「スカイ・クロラ 絵コンテ」に、以下のようなインタビューが掲載されていた。
押井 さっきも言ったように、カメラが動かなきゃいけないのは、基本的にレイアウトが甘いからなんです。特に、今の映画は16:9が普通になって、横長のレイアウトが自由にとれるようになったんだから。昔はスタンダード(4:3)だったからさ。かなりこれはタイトなわけ。人間や物を縦に並べる事が、なかなかできなかった。僕もね、ビスタサイズで演出する事で、やつとそれが分かった。スタンダードっていうのは無茶苦茶なフレームだよ。あれは何も表現できない。16:9のよさっていうのは、カメラを振らなくて済む事にあるんです。昔のTVアニメって、やたらカメラ振ってたよね。
小黒 そうですね。
押井 あれはね、カメラを振ってる時間が、間になってるだけなんだ。要らない間になってるだけ。それはね、斯波(重治)さんに教わった。「無駄なカメラワークっていうのはね、音楽が入らないんだよ、押井君」ってね。カメラ切り替えされると、音の流れなんて永遠にできないんだよ、ってさ。
小黒 なるほど。
押井 カメラを切り返してばっかりいるとね、音像が作れないんです。音響空間を演出できないんだ。TVと同じようにカットを割られると、映画では困るんだと言われた。戦闘が始まってるのに、アップばっかり並べられても、音の迫力が出せやしないんですよ。当たり前だけど、画は飛ばせるし、サイズも変えられるけど、音響っていうのは持続するわけだ。だから、時間を刻めば刻むほど、音響というのは威力をなくすんですよ。実は僕は、トリさんと斯波さん、この2人からコンテを習った。レイアウトは七郎(小林七郎)さんに習った。押井 (中略)ただ、16:9がスタンダードになった事で、コンテの切り方は変わんなきゃいけない。変わるべきなんです。相も変わらず同じように切ってるとしたら、じゃあ、フレームの意味ってなんなのという事になる。僕はやってみて「ビスタってこんなに楽なの」と思ったよ。
小黒 物を収めやすいんですか。
押井 収めやすい。何かのためにカメラ動かしたり、何かのために作るカットが、こんなに少なくて済むのかと思った。「何かのためにする」カット割りっていうのはね、やっぱり演出的にはロクなもんじゃないんだよね。いい事はひとつもない。ダイアロークの場面だって、発言者が変わるたびにカットを切り返す必要がどこにあるんだ、ってさ。一方の発言者だけ映していればいいじゃないか、話している相手の声なんて脇から聞こえてくれはいいんだ。
以上の発言は、あくまで映画について語っているため、特に音響についてはTVシリーズとは大きな違いがあるだろうが、16:9の画面サイズについて色々と考えさせてくれる。しかしこの話からすると、先ほどの『タユマユ』の画面横向き構図は、映画音響担当者にとっては犯罪的レイアウトではなかろうか? 現行のスピーカーシステムでは「音を上下に振れ」といっても至難である(9.1ch、11.1chのスピーカーシステムになると、上方向にもスピーカーが増えるようだが)。
EUROPA(エウロパ) 「高さ」を表現する11.1chの音響技術
ところでまた話は逸れるが、PC用ディスプレイについて。
こちらに「トレンドは16:9で決まり」とある通り、最近のPCディスプレイは16:9サイズ(フルHDだと1920*1080)が主流である。だが、私はどうしても16:10、つまり1920*1200のほうが良くて、このサイズのディスプレイを手放せないでいる。
これは、かつて使っていたディスプレイの最大サイズが1600*1200だったためというのもあり、1920*1080のPC画面では「縦の手狭感」がどうしても発生するからである。また「16:10のディスプレイだと、DVDなどを見たときに上下に黒帯が発生するから嫌だ」という人もいるのだが、どうせシネスコサイズ(21:9)の映画を再生したら、絶対に黒帯は発生する。TV放送主体の番組はともかく、映画でシネスコサイズが絶滅するとは思えない。人間の横の視界の広さは、ビスタよりも広いはずだし。
PCでも使える(手頃な値段の)シネスコサイズディスプレイが出てきたら「『ロード・オブ・ザ・リング』を黒縁なしで見たい!」と思って、欲しくなるかもしれないが……。
丑四五郎
世界初の16:9ワイド画面放送は、
1980年4月フジTVゴールデン洋画劇場の『用心棒』であった。
上下に黒味を入れた、ノートリミングのシネスコサイズでの映画放送を黒澤監督が主張した結果、このサイズによる放映が実現した。
映画ファンの大衆雑誌『ロードショー』解説委員は、その放送形態を「黒澤天皇のわがまま」による「暴挙」「画面が小さくなりすぎて役者の顔が見えない!テレビにはテレビのサイズがあるはず!」と非難していた。この記事をみても、それ以前にシネスコサイズの映画を、左右の画面を切らずに放映した例がなかった事を物語っている。
あのS.キューブリックでさえ『2001年宇宙の旅』のビデオ化、テレビ放映に際して、左右のトリミング編集の監修を要求はしても、上下を黒でつぶして左右は切らずに収録せよとは言わなかった。
だから、このワイド放映サイズを発案し、その実行を要求したのは黒澤明その人以外に誰もいなかったのだ。
このサイズはその後も『椿三十郎』『天国と地獄』と黒澤映画の放映にだけ適用されたが、他の邦画洋画放送には採用されはしなかった。
当時発売されたビデオやLD版映画シリーズがワイドサイズになっていないのを見ても、その発想が世界の誰からも出ていなかったと解る。
このノートリミング収録を他の映画放送に採用したのは、やはりフジテレビだった。深夜の放送枠でミニシアター系洋画がワイドサイズのままノーカット放映された。(1983年頃~)
邦画ビデオが採用し始めたのが1984年頃。洋画ビデオでこれを日本発・レターボックス版として初めて採用したのが黒澤信奉者たるS.スピルバーグだった。以後、この収録方法が一般的になるにはかなり時間がかかったが、今(DVD版)では当たり前となった。
NHKのハイビジョンテレビ開発は、最初4:3で始まり、ワイドサイズのテレビではなかった。
アナログハイビジョンが16:9のワイドサイズで公表されたのが1984年の埼玉つくば博覧会。ワイドサイズのテレビが普及する過程で、ハイビジョンカメラで撮影した映像を如何に混合放送するかは大きな問題だった。4:3の標準テレビでも、上下を黒でつぶせば放送できる、という土壌が出来ていなかったら、その開発は暗礁に乗り上げていたはずだ。
その土壌を作ったのが、「シネスコサイズの左右の画面を切りたくない」とこだわった黒澤監督の発案からだったと、私は確信している。
「1992年をもって民放の放送はすべてワイド放送に移行する」と電機メーカーは日本人にワイドテレビを売りつけた。
実際は、地上デジタルワイド放送が始まった今でも、ほとんどのニュース番組、取材ものが4:3の旧サイズで左右を黒くして放送されている。
これも、出発は『用心棒』上下黒マスクから始まったということを忘れてはならない。
テレビ界の慣例にとらわれず、映像作家(芸術家)としての信念を貫いた黒沢明的リーダーシップが、新しいテレビ時代を生み出した、と私は叫びたい。
http://tokyowebtv.at.webry.info/200610/article_3.html