放射線量と数字の魔力

私は放射線の専門家ではありませんが、スリーマイル島原発事故を扱った『恐怖の2時間18分』という本に書かれていたことを思い出したので引用します(引用にあたり、横書き文章で読みやすいように漢数字をアラビア数字に変換)。

 午前7時56分、ヘリコプターは補助建屋の排気口の上空130メートルのところで、1時間当たり1000ミリレムの放射線量を測定し、続いて8時1分には、同じ高度で1200ミリレムの放射線量を測定した。
 これらの測定データは、直ちに無線でコントロール・ルームに伝えられた。
 1時間当たり1200ミリレムという放射線量は、その数字だけを見ると、きわめて大きい。個人が受ける放射線量の許容限界について、NRC(米原子力規制委員会)は、最大で100ミリレムまでという目安を決めているからだ。
 しかし測定された1200ミリレムという値は、排気口近くにおけるガスの放射線レベルだから、すぐに拡散し、希薄になってしまう性質のものである。もちろんそれだからといってどんどん放出してよいわけではないが、直ちにあわてふためくほどのものでもない。
 だから、前日午後に、排気口の上空4.5メートルという至近距離で、1時間当たり3000ミリレムという放射線量が測定されたときには、誰も驚きはしなかった。

(中略)

 この日の朝9時頃、ワシントン郊外のベセスダにあるNRC本部では、局長クラスによる運営委員会が聞かれていた。
 委員会には、オペレーション部門総局長のリー・ゴシックを筆頭に、やがて現地指揮のために派遣されることになる原子炉規制局長のハロルド・デントン、検査実施局長のジョン・デーヴィスら幹部7人が顔をそろえていた。
 そこへ状況報告のために呼ばれたのは、NRC事故対応センターに早朝から詰めていたレイク・パレットという環境評価課の班長だった。

(中略)

 実はパレットが受け取ったテレックスは、いちばん重要な点が誤っていた。それは、「廃ガス減衰タンクがすでにいっぱいになっている」という点だった。実際には、タンクはまだいっぱいになっていなかったし、タンクからの放出もなかった。パイプから漏れていただけだった。
 しかし、NRC本部と現地との連絡はきわめて悪く、時折断片的な情報が入ってくるだけだったから、パレットはテレックスの誤った報告を、そのまま信じていた。
 パレットの説明を聞いて、幹部の1人が質問した。
「もし廃ガス減衰タンクのバルブが聞いて、ガスが放出された場合には、発電所外の地域の放射能汚染はどれくらいになるものど予想されるのかね」
 パレットは自分で計算した値を披露した。
「これは私の試算ですが、発電所周辺の地上で住民1人が受ける放射線量は、1時間当たり1200ミリレムに達するものと予想されます。環境保護局がガイドラインとして示している許容量よりはるかに高い線量を、たった1時間であびることになるわけです」
 部屋には重苦しい空気が流れた。幹部たちが一様に不安に駆られたことは、同席していた緊急対策準備局次長ハロルド・コリンズの次のような後日の証言からも明らかである。
「重大な事態になったと憂慮する雰囲気に包まれました」
 その懸念は、事故発生以来、NRC本部と現地との連絡がうまくいっていないことによって、いちだんと増長された。コリンズはさらに次のように証言している。
「ベセスダのNRC事故対応センターでは、現地ではいったいどうなっているのか詳しいことがわからないという不安感がありましたし、多くのスタッフは、現地に派遣した連中がやるべき対策をタイミングを失せずにちゃんとやっているのかどうか、疑問を抱き始めていたのです」
 そういう状況下で聞かれた運営委員会で、パレットの報告が行なわれたのである。
 部屋に備えつけてあるスピーカーつきの電話のベルが鳴ったのは、まさにパレットの説明が行なわれていたときだった。
 幹部の1人が電話に出た。ハリスバーグのペンシルバニア州知事室にいるNRC第1地区事務所の広報担当官カール・アブラハムからだった。
「冷却塔上空で1時間当たり1200ミリレムという線量が測定されたという話が入っているのだが、それは間違いないデータか?」
 アブラハムの声が、スピーカーから響いた。
 NRC本部には、午前8時1分に補助建屋上空でヘリコプターによって測定された1時間当たり1200ミリレムという値について、まだ報告が届いていなかったから、幹部たちにとって、「1200ミリレム」 という現地の数字を耳にするのは、アブラハムの電話がはじめてだった。
 幹部たちの頭の中には、パレットの説明によって不安感が満ちていた矢先だったから、アブラハムの声は、まるで衝撃的な駄目押しのパンチのように響いた。彼らは、アブラハムがいった「1200ミリレム」 という数字に、腰を抜かさんばかりに驚いた。
 何という一致!
 偶然の一致という言葉があるけれども、これは「恐るべき偶然の一致」だった。

例えば「車が10倍の速度でぶつかってきた」といったら凄そうに聞こえますが、「実は、元来の速度は時速1キロでぶつかったときは10キロだった」といったら全然印象が違います。数字の印象だけに惑わされないでください。