asahi.com(朝日新聞社):初代「宇宙戦艦ヤマト」新作映画に 監督「伝えていかねば」 - 日刊スポーツ芸能ニュース - 映画・音楽・芸能
1974年(昭49)に日本テレビ系で放送された人気アニメ「宇宙戦艦ヤマト」が、38年ぶりに復活し、来年4月7日から劇場公開されることが9日、分かった。タイトルは「宇宙戦艦ヤマト2199」。ベースとなる物語、2199年という時代設定はシリーズ初代と同じだが、監督に過去のシリーズで設定やメカニックデザインを担当した出渕裕氏(52)を起用するなど製作陣を一新。ビジュアルなどを再構築し、新作として公開する。
ヤマトのデザインがどうなるかとか、ガミラスの解釈がどうなるか(実写映画版では大幅に変更が入っていました)とか、色々と気になるところはあるのですが、出渕裕氏が監督されるということで、とりあえず押井氏がどうコメントするのかも非常に気になっております。
押井氏が、出渕氏デザインによるパトレイバーなどのメカについて色々と書いた「押井守・映像機械論[メカフィリア]」という本では、記事の連載中に出渕氏が「人間サンドバッグにされた気分」とコメントするほど、押井氏が出渕デザインについて「こんな機械がまともに動くわけがない」などというようにボロクソに書いています(笑)。
あと押井氏と出渕氏は、『ラーゼフォン』劇場版DVD初回限定盤のブックレットでも対談しています。
押井 僕のエッセイで、ぶっちゃんって人間についてコラムとかエッセイとか、さんざん書いて、まわりの人間はみんな悪口だと思ってるよね(笑)。でも、そうじゃないんだよ。評価してるから書いたんだ。
僕の「出渕裕論」を締めて言えば、「ぶっちゃんは、メカニックをキャラクターにした男だ」ということ。というか、アニメーションのメカニック、ロボットはみんなキャラクターだったんです。そのことを無意識のうちに極限まで追求した男だから、そこを最大限に評価してやらないと。
出渕 無意識かなあ(笑)。まあ、でも基本的には、おっしゃるとおりです。
押井 そういう意味で言うと、日本のアニメーションを代表する男なんですよ。日本のアニメーションを乱した男でもあるけどね。だからいまだに仕事ができるわけ。永遠にファンの側にいられる男なんだよね。それを要求したのは誰かと言えば、それはファンですよ。ロボットは彼らおよび彼女らにとってキャラクターだった。そういうことを体現している数少ない、っていうかほとんど唯一の男。
メカニックというのは、本来は自立した瞬間から別世界になっちゃう。レイバーは本当に過渡的な存存で、キャラクターであるのと同時に一種のギミックだったんですよ。僕は、はっきりギミックにしようと思ってたの。ところがぶっちゃんのデザインに足引っ張られて(笑)、そうならなかった。
出渕 でも、あれ押井さんのいう、ギミックにしてたら今の『パトレイバー』はなかったでしょう。それと、今の押井さんも(笑)。
押井 ないない。それはまさに思うわけ。あの98式っていうのが、ファンの好むキャラクターになってなければ、最初のビデオ6本でこの仕事は終わってた。映画もなかったし、テレビシリーズもなかったし、もちろん『パト2』も存存しなかった。そこらへんが僕のアンビバレンツ(二律背反)な部分だけどね。
出渕 それは、常に関係論なんですよ。
押井 僕自身もどこかでそれを吹っ切ろうと思いながらも、そういうようなものを背負って仕事してる。ぶっちゃん個人に対しては、『パト2』のときに大喧嘩やらかして、「お前なんかといっしょに仕事したくない、顔も見たくない」って。
出渕 それは、要するにあの電話口の話でしょ。デザイン上がらないんで、怒った押井さんが「お前やゆうきまさみは要するにレイバーが宇宙でドンパチやるよーなものをやりたいんだろ!」って、それでこっちがキレちゃった。アレ(笑)。
(中略)
押井 だから、そういう反対勢力と格闘することで、結果的にあの作品が成立しちゃったこともわかってるから、よけいに愛憎の念が深いの(笑)。日本のアニメーションが持つ非常に不可解で特殊な領域と、緑を切ろう緑を切ろうと思いつつ、どうしても抜けきらずにそっちに頭が突入してしまう。まるで日本的な「家」みたいなもんで、家を飛び出しても結局は家の問題は解決しない。
だからこそ、出渕裕っていう男に代表されているような、そういう絵柄の世界、アニメーションの世界、デザインの世界を、多分僕がいちばん正確に語れる位置にいるんだ。
出渕 実は、そうかもしれないですね。
押井 ……というつもりで、ずっとこの数年間、ぶっちゃんの悪口をあちこちで書いてきたんですよ(笑)。
出渕 そ、それはありがた迷惑な気が…(苦笑)。
さらに押井氏は『ヤマト』について「男の巨根信仰の象徴」「波動砲は射精」と表現したこともあるので、出渕ヤマトをどう見るのか……。
チサトン
でも押井さんのあのボロクソな言い分から、出渕メカの素晴らしさというか魅力が一体何であるかすごい解ったんですよね。押井さんは出渕さんのメカは仕事で使いたくないけど、メカデザイナーとしての彼の持つ魅力とかはちゃんと見抜いてるなと思います。メカフィリアってあれは実は出渕裕再評価本だと思ってます(笑)。