【対談】押井守×最上和子『身体×義体の行方』前編 | 日本美学研究所
押井守監督の実姉で、舞踏家の最上和子氏と、押井監督の対談がWeb掲載されています。最上和子氏のパフォーマンスが行われるのに合わせたものかと。
押井:映画って「時間」を写すものだからね。その時間を表現するということが分かったのがここ10年くらい。アニメでいうとスカイクロラの頃から、ようやくそのことがわかった。時間は映画の中でしか表現できないからね。ほかのことは全部オマケなんですよ。本質的ではない。書籍の代わりだったり演劇の代わりだったりできるから。映画にしかできないことって映画の中に時間を成立させることなんだよね。それに乗るっていうか、撮影している現場自体で表現するというか。それが、映画が身体に馴染んできたということかな。それまではカットで決めてやるっていう、ガチガチの映画を作っていた。アニメでも同じことがある。アニメってカットで作るからね。柔らかい映画って、時間が身体に馴染むものっていうか。年を取らないとわからないけどね。若いと硬いからね。
最上:映画を撮る人がそういうことを言ってくると助かる。映像を好きな人って「身体」は嫌いなんだと思う。自由度が全然違うから。「身体」の自由度って「外」に展開する自由じゃなくて、「中」に入っていく自由度。それって客観的にはすごく分かりづらいじゃないですか。
押井:アニメなんかはね、現実の人間のリズムとは全然違う人間の動きを表現する。独特のリズムを刻んでる。超人的な動きとかね。そういうのって、若ければ若いほど憧れるものですよ。若いほど世界最強の身体に憧れる。それと逆というか、その憧れとか気持ち良さにいかないというか、世界最強の身体にいかないというか。いかに自分の身体を見ているかということだよね、ちゃんと自分が思った通りに動けるかとか、歩けるかっていうこと。強さとかかっこよさに憧れて入っていって、自分の身体と向き合い始めていくと、自分の身体の固有性と向き合わざるをえない。
【対談】押井守×最上和子『身体×義体の行方』Vol.1https://t.co/r7Q3RWV4L0
— 日本美学研究所 (@bigakukenkyujo) 2019年2月11日
凄い対談が実現した。人体をサイボーグ化する「義体」を描いた押井守監督と、自らの内に沈潜し「身体」の隠秘的側面を探求する最上氏。テクノロジーが驚異的発展を遂げる中、あらためて人間の存在を問い直す新時代の身体論。 pic.twitter.com/FVnC5hAQG1
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