押井守、『007』について語る

押井守の「映画で学ぶ現代史」 007、009、そしてガッチャマンに通じるもの 「007 ロシアより愛をこめて」(1963)

『007』シリーズ原作者のイアン・フレミングが実際に諜報活動に関わっていたというのは有名な話だと思っていたのですが、ともかく今回は押井氏が『007』シリーズについて語っております。

押井:当時の中学生の間ではエロ小説として流通してた。特に「私を愛したスパイ」。あれは純然たるエロ小説ですから(笑)。ジェームズ・ボンドは最後に出てくるだけで、あとは延々とドイツを舞台にした女の性の遍歴話なんだよ。もともとあれをネタに映画作ることが無茶なの。ウブいお姉さんがいろんな男に引っかかって、いろんな体験をして、結婚もしたけど相手がトンデモ男だった……みたいなさ。それで、傷心旅行の最中に事件に巻き込まれて、ジェームズ・ボンドが解決してくれて、最後にしっぽりやって翌朝別れましたという、そういう話だよ。

―その話だけ聞くと、完全にエロ小説ですね(笑)。

押井:それでも当時はジェームズ・ボンドの007シリーズとして出版されてたから、中学生が本屋のカウンターに持っていくのはOKだった。だからみんなエロ小説と承知の上で、ジェームズ・ボンドの陰に隠れて購入したり、あるいは回し読みしたりしてたわけだ。

―わかるような気がします。

押井:それはともかく(笑)、007という映画シリーズは時代によって扱いが変わってるんだよ。お客さんも変わってるし、配給とか制作側も変わってる。だからイアン・フレミングなんかさっさと用無しになった。彼の回想によれば、奥さんと楽しく試写に行ったと。で、主人公のジェームズ・ボンドはもともと自分をモデルにしてたんだから「亭主があっちに行ったりこっちに行ったり、いろんな女のベッドに入ってるのを夫婦で楽しく拝見した」と語ってるからね。