2002年4月13日にシネ・リーブル池袋で行われたWXIII&ミニパト トークショーのリポートを。
まずミニパト上映の後に「ミニパト トークショー」が行われたのだが、本来来場予定であったミニパト監督の神山健治氏が突如来られなくなった(仕事がきついらしい)ため、ミニパト組としては西尾氏のみになってしまった。それで「西尾さんががちがちに震えて緊張しているため」とり・みき氏が救援に現れた(という事になっている)。とり氏と神山氏、西尾氏は札幌の舞台挨拶の時にすすきので飲み明かしたとか(*1)。また西尾氏は元来とり氏のファンで、「思い出したくもない(とり氏の言葉)」デヴュー作を西尾氏が小学生の時から読んでおり、西尾氏の絵もとり氏の絵が元になっているとかいう話。
さて西尾氏は、劇場で配付された「ミニパトのひらき(ミニパト人形ペーパークラフト)」を実際に割り箸を使って作成した人形を持っていたのだが(写真)、とり氏はそれに対抗(?)して、自身の自画像の割り箸人形を密かに作成して持ってきていた(「森のたより」が邪魔だが写真)。触覚があるのは廃棄物13号仕様らしい。
ところでこの日はまず、その来られなかった神山氏の話になる。「実は押井さんよりも良く喋る男」「酒一滴も飲めないのに飲み会で一番喋る男」「理詰めで圧倒する男」などと語られていた。
そしてここでとり氏が「いつも押井さんがあることないこと喋るから、本当の『ミニパト製作の経緯』が知りたい」と発言。だが西尾氏は、今まで自身が発言した以上の事(ジバクちゃんアニメを作ろうという話をしてIG社長の石川氏に呼ばれたら、パトレイバーになっていた)は知らないという。「WXIIIに特車二課が出ないから、特車二課の出る話が欲しい」というプロデューサーの思惑が絡んだかも知れない、ということであったが。
会場からの質問で、「ジバクちゃんのアニメ化はもうあり得ないのか」という質問に関しては、西尾氏は「やる気はまんまんです、お金出してくれる、自爆ということに倫理的を気にしないところがあれば」という話だが、中東で自爆テロが連続している現在ではどうか……。
ところで西尾氏は、ミニパトの前に押井氏がやるという話になっていた企画があったことを明らかにした。「某三世を、押井守でやろうという話がまたありまして、押井さん以外はそれで凄い盛り上がっていたんですが(笑)、「押井さんルパンやろうよ」って……あ、言っちゃった(爆笑)」(*2)「それで俺がそれのスタッフの候補として上がっていたんですが、その企画を押井さんが一言の元に却下しちゃって、俺の仕事が無くなっちゃったんですよ。それで押井さんに『俺の仕事無くなっちゃったから(ミニパトの脚本)やってよ』というのが、今日初めて話す経緯」だそうである。
その後WXIIIトークショートして、とり・みき氏、遠藤卓司氏、出渕裕氏、氷川竜介氏のトークショーが行われた。野良犬の塒はやっぱり押井守サイトなのでこちらの詳細は割愛するが(後で戦闘日誌に個人的に記述予定)、この時観客との質疑応答で、「出渕さん、押井さんに関するコメントをお願いします」という質問が上がった(*3)。その時の出渕氏の回答「人間サンドバッグになった気分です」。
以前モデルグラフィックス誌で押井氏が連載していた『迷走ガジェットFILE』。その連載が始まる前、押井氏と出渕氏が偶然会ったとき、押井氏が自分の作品のメカ(つまり出渕氏がデザインしたメカを含めて)について語る連載をやるという話をして、出渕氏は「いいんじゃないですか」と答え、「掲載されたら見本誌下さい」と言ったところ、押井氏は少し考えて、「いや、見本誌はあげない、単行本になったらあげるよ」と答えた。
出渕氏は何故と訝ったが、後から自分で書店でモデルグラフィック誌を見てみると、そこで出渕氏がデザインしたパトレイバーのイングラムなどについて「こんなロボットは構造的におかしい」等と散々ボロクソに書かれていたのを見て唖然としたという事である(とり氏は(押井氏は出渕氏への)「愛があるんだよ」と言っていたが)。最近は出渕氏は逆に、押井氏が何を言うのか楽しみにしているということだが(とり氏「マゾ?」)。出渕氏はこの単行本の後書きを頼まれたそうだが(単行本の詳細については不明)「何書いたものやら」と言っていた。
そしてWXIII&ミニパト公開初日の舞台挨拶の時、本来は出渕氏と押井氏が顔を合わせる予定であったのだが、押井氏が体調不良のため舞台挨拶に参加できなかった。それで後から押井氏が、「ブっちゃん、(舞台挨拶の時に)色々僕のこと言っていたんだって?」と勘ぐったそうだが、出渕氏はそんな事は一言も言っていない、「そりゃ被害妄想だろ」という話である(とり氏「やっぱり愛があるんだよ」)。
原註