まず、『WXIII(Wasted Thirteen) 機動警察パトレイバー』とはどういう経緯で作られたのか、それについて語って行きたい。
この映画は最初、ゆうきまさみ氏のコミック版『機動警察パトレイバー』に掲載された「廃棄物一三号」の話を、特車二課を抜きにした怪獣物でやりたいと言いだした、ところがバンダイが横やりを入れてパトレイバーにしろと言って……。
……という話が、恐らくネットを中心に出回って私もそればかり聞いていたのだが、これはWXIIIの脚本を書いたとり・みき氏によると完全にデマであるという。それで本当のところは、『機動警察パトレイバー2
the Movie』の公開の後ぐらいに、ヘッドギア(*1)の一員でWXIIIスーパーバイザーの出渕裕氏が、ゆうきまさみ氏のコミック版パトレイバーの話「廃棄物一三号」を元にしたパトレイバーのOVAを作りたいという話を持ち出したのが最初だという。それで脚本の依頼を受けたのが、それまで一度もパトレイバーシリーズを手がけたことがなかった元々漫画家のとり・みき氏。だがパトレイバーの脚本は色々な人が引き受けているので、とり氏も気軽に引き受けたという。同時に監督を(やはり気軽に)引き受けたのが、完成時に総監督としてクレジットされることになる高山文彦氏である。
そんなわけで気楽に始まったシリーズ。当初は1巻30~40分程度で全3巻のOVAとなるはずだったが、バンダイビジュアルプロデューサーの杉田氏が「映画にしましょう」と言いだし、映画になっていったという。
「パトレイバーにしろという圧力があった」という話とは正反対に、とり氏や高山氏が特車二課をどんどん削っていっても全く何も言われなかったそうだ。脚本(最終稿)が上がったのは96年のことだったのだが(*2)、そのアニメが延々と紆余曲折を繰り返しスタジオを転々とした。潰れてしまったスタジオもあったらしい。
そして完成時には、監督としてクレジットされることになる遠藤卓司氏がこの作品に参加することになった。別に高山総監督の「後を継いだ」のではなく、あくまで高山氏の補助的な役割として参加した。つまりは演出として参加という形なのだが、実際には作品に関する裁量権もあったので「総監督と監督」という表現にされた。その遠藤氏だが、当時WXIIIをやらないかという話を聞いた時「俺は丸輪零(*3)か!」「
そしてプロデューサーはバンダイビジュアルの杉田氏だったが、あまりに作業が進まないので一時責任を取って辞めたそうだ。しかし二年後に戻ってみると、状況は二年前と全く変わっていなかったという(*4)。
そしてこの状況を打破すべく、マッドハウスからプロダクションI.Gに「黄瀬さん貸して~!」というお呼びが入った。こうしてマッドハウスに『出向』したのが、劇場版一作目と二作目の作画監督を勤めた黄瀬和哉氏である。「性能の低い人狼と言われたけど、それで大成功」「単に性能の低いアニメになるところだったのを、『人狼に見えなくもない』というところまで引き上げてくれたのが黄瀬さんの功績」「『どうしよう?』という原画がたくさんあったし」という遠藤氏の話である。
原註
大作アニメーション『Talking Head』は公開を2ヶ月後に控えていた。しかしその監督の丸輪零は失踪、スタジオ『八百馬力』は監督行方不明のまま、色も絵もキャラクターもコンテもシナリオの初校すら無い状態で放置されていた。その状況を打開すべく送られてきたのが、渡り演出家の《私》である。《私》はどんな監督のどんな作風でも模倣し、作品をその監督のものとして捏造するという『渡り演出家』であった。その《私》のところに、『Talking Head』を完成せよとの依頼が舞い込んできたのである。2003年2月25日に発売された『押井守シネマ・トリロジー/初期実写作品集』というDVD-BOXに収録。
前任者の監督は一体どんな作品を作ろうとしていたのか? 《私》はそれを明らかにすべくスタッフへの聞き込みから開始する。だが『Talking Head』のスタッフが次々と何者かに殺害され、非業の死を遂げていったのだ。犯人の狙いは? 作品は完成するのか?