脚本=大松裕
絵コンテ=古川順康
演出=橋本三郎
作画監督=西城隆詞
鎮西に上陸した一行。熊襲の砦に向かう途中で貞光は、黄色い髪の男に出会う。だが金太郎が貞光に話しかけてきた隙に、その男は消えてしまった。
その後一行は熊襲の砦に辿り着く
のだが、その砦は日本の建築とは思えないような奇妙な砦だった。そして一行は砦から火薬玉の攻撃を受けて撤退する。その火薬玉の材料を分析した卜部は、同じものを作ることに成功
。その火薬玉を使って敵を攪乱し、その隙に砦の中に忍び込んで勾玉を手に入れようというのだ。
綱達が火薬玉を使って陽動を引き受ける間、光と貞光が砦の中へと入り込む。巨大な砦の中は大量の熊襲兵がいると思われたのだが、何故か一人の敵兵も現われない。そこで光と貞光は二手に分かれて勾玉を捜す。
貞光は砦の奥で、先の黄色い髪の男に出会った。その男~酒呑童子の配下の赤鬼~は、巨大な刀を振るって貞光と戦う。
一方光は、砦の中にある村の住民に出会った。その人々によると、酒呑童子は都を攻め落とすため、熊襲兵を引き連れて既に出陣し、勾玉も持っていったという。そして一人で砦を守っていたのが赤鬼だったのだ。
赤鬼~他国から来た、本当の名をイワンという男~にすがる彼の妻の姿を見て、貞光は刀を収める。そして光達は、酒呑童子の後を追って都へと急ぎ引き返していった。
微妙に妙な雰囲気になってきた気がするが。火薬玉を食う金太郎とかそれに恍惚とする卜部とか……。
今回の話のつっこみ所は色々とあるが、まずは“イワン”だろうか。その名前から単純にロシア系と考えるとして、972年は古代ロシア国家(キエフ・ロシア)のスビャトスラフの時代となる。スビャトスラフはハザル族、ペチェネグ族、ブルガール族に対する対外遠征を繰り返して強大な帝国の建設を目指したが、972年にペチェネグ族に殺されたという時代である。この辺の民族はトルコ系だとかで、ロシアの東ではない。
それでイワンがどうして日本に来たかだが、シルクロードを通って東に来て、唐(618~907)から日本に渡ったというところだろうか。もっとも彼が何故そんな事までして東へ、東へと向かったのかという理由は全く分からないが……。それに一人で砦を守っていたと言うが、それではどうやって砦から光達に火薬玉で攻撃してきたのか?(
カリ硝石、硫黄、木炭を調合した黒色火薬は春秋戦国時代(BC770~BC221)の頃に、始皇帝などが興味を示した不老長寿の薬を作る過程で発明されたという説がある。火器としての火薬使用が文献に現われたのは、1044年に曾公亮が書いた「武経総要」が初めてらしい。従って、『お伽草子』でも年代的にはそんなにずれていないことになる。勿論 史実で日本に火薬が伝わったのは1543年の種子島が最初とされているが……。そしてあっさり火薬の材料を見抜いてあっさり火薬玉を作った卜部。硫黄と木炭はともかく、日本では硝石は自然には産出しないはずだが……(戦国時代は皆輸入に頼っていた)。