先日、カンヌの映画祭に行ってきました。
ベルリンの映画祭で門前払いを食った「アヴァロン」が、どういう経緯でカンヌの特別
招待作品に選ばれたのかは知りませんし、知りたくもないのですが、僕は映画祭というやつが大嫌いなので、気分は初めからブルーでした。
生まれた土地を終生離れることのない野良犬が、外国に─それもよりにもよって何故カンヌなんかに行ったかといえば、これはもう「アヴァロン」のヨーロッパ公開を睨んだ宣伝のため、というあからさまな事情があるわけです。
そもそも映画なんてものは個人的に暗闇で楽しむものであって、映画を愛するなんて言葉にはそういった後ろめたい淫靡な気分がつきまとうものです。僕が子供の頃には映画館に通 うような奴は不良だと言われたものだし、小学生だった僕を連日のように映画館に連れて行った僕のオヤジは失業者同然の私立探偵だったし、長じて高校生になった僕はオフクロの財布から小銭をくすねて映画館に通うことに快感を覚えたものです。
要するに映画なんてロクなもんじゃない、ということです。
映画なんかにハマるとロクなものにならない。学校には行かなくなるし、親の金は盗むし、まともな就職はしないし、婚期は遅れるし貯金はしないし─要するにその場限りの破綻の人生を歩むことになります。僕も映画監督になっていなければ、立ち喰いのプロにでもなって落魄の身を路上に晒していたに違いありません。映画というのはそのくらいキケンなものだと、そう考えておけば間違いないようなシロモノなのです。
ああそれなのに―燦々と輝く地中海の太陽の下に映画監督やら俳優やら評論家やらが集まるなんて考えただけでも不穏であり剣呑であり、だいいち気味が悪い。上映会場にはタキシードを着用しなければ入れない、と聞いた時には本気で行くのをやめようと思いました。
いくら野良犬でも結婚式や葬式の時はネクタイくらい締めますが、襟のある上着は上の兄貴が死んだときに慌てて買ったアオキのスーツしか持っていません。
「タキシードなんて持ってないもん」
だから行かなくてもいいでしょ、とバンダイビジュアルの渡辺プロデューサーに言うと
「タキシードはバンダイが責任を持って用意します」
こうなったら一蓮托生。みんなで一緒に恥をかきましょう、ということでした。
恥をかくならあんた一人でかけばいいじゃない、と思ったのですが、責任をもって用意するというバンダイビジュアルらしからぬ
太っ腹な言葉には感心しました。バンダイビジュアルのお金で、ということなら、この際ですから一着くらい誂えるのも悪くないかもしれません。
「ホントに用意してくれるの?」
「武士に二言はありません」
あんた武士でもサムライでもなくて、漬物屋の息子じゃない─とは思いましたが、こちらもただの野良犬ですから偉そうなことは言えません。
「じゃ、行く」
これが大きな間違いでした。
確かに用意してはくれたのですが、それは誂えるということではなくて貸衣装屋さんから借りる、ということだったのです。詐欺だインチキだイカサマだーと吠えようかとも思ったのですが、こちらにもドサクサまぎれに人の金でタキシードを誂えようなどという下心があったので唸るしかありませんでした。
出発の数日前、上野の貸衣装屋さんに寸法合わせに行きました。なぜわざわざ上野で借りて行くのかと言えば、それはつまりタキシードのレンタル屋なんてカンヌにはゴマンあるらしいのですが、足の短い日本人に合う服がない、という屈辱的かつ国辱的な理由があったのでした。貸衣装屋のオバちゃんは親切でしたが、僕が襟に(犬の)ブローチを着けてもいいかと尋ねると、ダメですと冷たく答え、僕の最後の抵抗もはかなく潰えました。
そして数日後、僕は憂鬱な気分でニースの空港に降り立ちました。これから数日間は犬の本性を隠し、日本からやってきた知的な映画人を演じなければなりません(別にそんなこと誰にも頼まれちゃいないんだけど)。僕は奥さんにも見せたことのない秘密のシッポをしゅるしゅるとお尻に収納しました。翌日から戦闘開始です。
僕の飛行機代やホテル代を負担したキャナルプラス(ちなみに同行したバンダイビジュアルの人たちは会社もち、現場を仕切った久保Pたちは自腹)というヨーロッパの配給会社は、元だけはしっかり取ろうと考えたらしく、朝から晩までインタビューとテレビ収録で一杯です。ご飯はサンドイッチのみという有様で、映画祭に来ている実感などあろうはずもありません。ボンジュールとメルシーを連発しつつ(僕が話せるフランス語はそれだけ)馬に喰わせるほど写真をとられ、誰彼かまわず握手しまくり、気がつけば深夜という日々が続きました。トップレスのお姉さんがタムロしているというビーチに近づくこともなく、疲れ果ててベッドに倒れる毎日です。
で、あっという間に上映の日がやってきました。
タキシードを装備し、蝶ネクタイとカフスで武装し、部屋の鏡の前に立ってみると、どこからどう眺めても七五三の子供にしか見えません。
タキシードを脱ぎ捨ててこのまま逃亡しようかと一瞬だけ考えましたが、フランス語はまるでダメだし、自力で日本に帰り着く自信がなかったので、諦めて部屋を出ました。
ロビーに下りると、これまたタキシードがまるで似合わない日本人たちが待ち構えています。
こうなったらもう観念するしかありません。ハザードを点滅させたリムジンを連ねて会場へ向かう車中では、南米の大統領かマフィアの親分の気分でしたが、車の列は渋滞で何度も止まります。これでは狙撃されたらひとたまりもない─などと馬鹿なことを考えているうちに、車はパレと称する会場に到着しました。
いよいよ本番です。
カンヌと言えば一部の映画人にとっては最高の晴れ舞台なのでしょうが、例の赤絨毯の階段に立った僕には、何の感慨も湧いてきませんでした。いや、それどころか、これから試練の時が始まろうとしているなどとは夢にも思っていなかったのです。その試練とは─。
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