(第1回へ)
さて、いよいよ赤絨毯を踏む時がやって来た。
日本ではカンヌといえばこの赤絨毯のことであり、今村昌平も大島渚も叶姉妹も中村エリ子も踏んだ赤絨毯である(そういえば、カンヌに行くと決まったとき、叶姉妹の胸が本物かニセモノなのか必ず確認してくるように、とスタジオの友人たちに依頼されていたのだが、なにしろ取材の対応で忙しく、彼女たちの姿を拝むことはついぞなかった。いや、そもそもあの姉妹はカンヌにきていたのだろうか?)。
僕、バンダイの渡辺プロデューサー、久保P、マウゴジャータ、そして川井君の五人が横一線に階段の下に並び、係員の合図を待った。前回も書いたが、小太りの僕を含む日本人全員がデブである。それもオーソン・ウェルズのようなカッコいいデブでなく、酒の飲みすぎといい加減な食生活と運動不足が原因の中途半端なデブである。合図が出るまでヒマなのであらためて眺めみたのだが、やはり正装がサマになっているのはマウゴジャータだけである。この日のためにタキシードを新調した川井君は、なんとか結婚式の司会に見えないこともないが、残りのレンタル組みは全滅といっても過言ではない。一体この奇妙な日本人の集団を、現地の人々やヨーロッパから集まったマスコミの人間たちは何と見るのか。この赤絨毯の儀式は日本のテレビでも必ず放映される。その惨めな映像を想像するだけで、頭が痛くなった。
がしかし─そんな煩悶も知らぬげに、係員がスタートの合図を送ってきた。
もはやヤケクソである。
僕らは階段を上がり始めたが、ここで大問題が発生したのである。
靴が緩くて脱げそうになったのだ。
何を隠そう。僕は靴といえば犬の散歩用ウォーキングシューズを一足、運動用スニーカーを一足、結婚式葬式兼用の黒の革靴を一足。計三足のスニーカーしか所有していない。あとはスタジオで履く軒昂サンダルがあるだけで、ここ八年間は基本的にずっとこの三足で通してきたのだ。いや、それどころか、ガブやダニやん(どちらも僕の愛犬)が来るまでは一足しか持っていなかった。スキーではないから靴はレンタルできないし、タキシードでスニーカーや軒昂サンダルを履くほど非常識ではないから、日本からこの結婚式葬式兼用革靴を持参していたのだが、これが大幅に緩いのである。
自前の靴は何故ユルいのか。
それは永遠の謎だが、とにかく緩いものはユルいのである。
実を言えば、ホテルの階段を降りるときから既にヤバかったのだが、それでも下りは重力の関係で物理的に靴が先に着地するから何とかなるのだが、上りは靴を置き去りにして足のみが先行する危険性が高くなる。
僕は何とか靴を置き去りにしないで階段を上がるべく、奇怪な運動を開始した。つま先から足を上げ踵から着地する─こんな歩行はアニメのロボットでも許されないだろうが、実はこれは絶妙のバランスを要する高度な運動であり、僕は全神経をこの変則的な歩行動作に集中した。
「ミスターオシイ! ストップ、ストップ!」
係員の声で我に返ると、他の四人が横にいない。歩行に意識を集中するあまり、四人を置き去りにして五メートルほど先行していたらしい。アセった係員が再び何ごとか喚いているが、要するに五人揃って、もっとゆっくり歩け、ということらしい。
だが現実には靴を置き去りにしないだけで精一杯なのであって、そんな高度な集団機動を要求されても事実上は不可能である。
結果─先行してはちょっと待ち、先行してはちょっと待ち、という工程を繰り返すことになった。事情を知らない大多数の人間の目には、僕は「セッカチな馬鹿」にしか見えなかったであろう。だが実は必死だったのである。
スロー、スローと係員が叫んでいる。
もともとこの赤絨毯の儀式なるものは、観衆やプレスやテレビクルーに対するサービスなのだから、もっとゆっくり時間をかけて歩けということなのだろう。言われて見れば、なるほどテレビで見たスターたちはカメの如くゆったりと歩きながら、微笑んだり手を振ったりしていたが、あれにはそういう理由があったのだ。スタスタ歩かれたのでは元も子もない─それはよく判るが、「ゆっくり歩く」ことは、そのまま靴を置き去りにする可能性が等比級数的に上昇することを意味する。微笑むなどという精神的余裕は皆無であるし、周囲は暗いし、カメラのフラッシュはパカパカするしで、頭の中はパニック寸前であった。
がしかし困難な歩行の果てに階段を上りきり、ようやく劇場の入り口に辿り着いた僕にはさらなる試練が待ち構えていたのである。
全員で振り返り、観衆やプレスにあらためてアピールしろ─というような指示が出る。
僕は右足を軸に最小旋回半径での180度ターンを試みた。
その最終プロセスで右足の踵が靴から浮き上がり、重心移動によって不安定だった体勢は一気に前方へのモーメントを促し、僕は階段からの落下という最大の危機を迎えたのであった。
視界の橋に小さく叫んで顔を引きつらせた久保Pの姿が見えた。
反射的に腰を落とし、右膝は強力な油圧ダンパーと化して前方へ移動しつつあった物理モーメントを強引に下方へ変換する。
時間にしてコンマ数秒-文字通り運命を分かつ一瞬だった。
僕が「赤絨毯の階段から転げ落ちた大間抜け」としてカンヌの歴史に名を残さずに済んだのは、これすべて犬の散歩で鍛えた強靱な足腰のおかげである。
ありがとう、ガブ。ありがとう、ダニやん。
…という訳で史上最大の危機を乗り越えた僕は劇場内に辿り着くことができた。
「アヴァロン」の上映は成功だった、と思う。
オープニングでまず盛大な拍手が起り、上映終了後は万雷の拍手となった。
それが特別招待作品に対するカンヌの観客のマナーなのか、それとも本当にウケたのか、それは判らない。判らなくていいのである。それを明らかにしようとすればドロ沼にハマるだけであり、僕はとりあえずウケたのだという結論を日本に持ち帰ることに決めて劇場を後にし、マウゴジャータたちと美味しいビールを飲んで寝た。
まあ、いろいろあったけど、終わり良ければすべて良し─翌日はマウゴジャータ、通訳のエステラさん、コーディネーターの山田さんとともに車を飛ばして「モナコの休日」を楽しんだ。昨夜の成功でご機嫌だったのであろう、同行の渡辺プロデューサーが珍しく太っ腹のところを見せて、費用は全額バンダイ持ちであった。
そのまた翌日。
僕は「人狼」のプレミア上映のためにLAへ向った。
ニースからドゴール空港を経由してLA へ─。
あまり感動的でなく、叶姉妹にも会えなかったけど、僕のカンヌ野良犬紀行もこれでオシマイ─になる筈だったのだが。
まだまだ試練は終わらない。
最後の最後に。シャルル・ドゴール空港での悪夢の如き試練が僕を待ち構えていたのであった。
─次回「エールフランスの罠」につづく
(最終回へ)