ロボットに「心」は宿るのか? ~『攻殻機動隊』に見るヒトとロボットの未来社会~(2/4)
意識の分析
瀬名「意識の分析にはペンローズの心の影というものを交え、こういった分け方があるが、神山氏や攻殻ではどうか?」
神山「基本的にはCだが、Dも含む。タチコマはアニメということでブラックボックスがあり、作中では解決できなかったこともあって、Dも含んでしまっている」
瀬名「自意識を作るには何が必要かという要素に、
……が挙げられるが、自意識は偏在し、人の自意識もその集合体の中の一部でしかないとする、神秘主義の反論も存在する」
瀬名「電脳化・ネットワーク化した故のスタンドアローン。その単語を作ったきっかけは?」
神山「単語を作った2000年から2004年という年はネットというものがようやく普及し、ネットの話を理解してもらえる素地ができた頃。しかし、テレビの視聴を例にとると、2ちゃんねるの実況板や携帯電話のチャットメール等に見られるように、ネットワークを利用した情報の並列化、共有化の速度があまりにも早く進んでしまい、情報の価値の低下を招いていた。ネットを通じて瞬時に情報が伝達されるために、世界的に地域差すらなくなりつつあり、オタク文化が楽なものだとわかったとき、大多数がそれを共有している事実があった。『この状況は危険ではないだろうか、大丈夫だろうか?』という危惧を中学生でも判る範囲の英語で言い表した言葉が“STAND ALONE COMPLEX”だった。アンヴィバレントな単語で、独り立ちということと、コンピューター用語であるということで、“STAND ALONE”。シネマコンプレックスやコンプレックス(症候群)から“COMPLEX”という単語を選定した。が、ネイティブな人に聞いてもらっても、『なんじゃそりゃ』というような顔をされ、心意気としては、もうその年の流行語大賞を狙うつもりくらいで名付けていたが(笑)、4年前では全く受け入れられなかった。しかし、最近のニセ札騒ぎやドン・キホーテ放火事件のような同時多発的模倣者による現象を「STAND ALONE COMPLEX」的だ、と評する人も現れ始めた現在では、まあそれなりに普及したのか(笑)と感じている。
作品を開始した当初は並列化をすれば、個性は消失していくだろうと考えていたが、そのうち意識を共有化していても、個性は失われないのではないか、という風にやっていくうちに考えが変化していった。『イノセンス』というプロジェクトと『攻殻SAC』という、同じ原作作品を僕と押井氏で別々に手がけていたが、僕は同じ作品を扱うし、押井さんの弟子の中で自分は特に押井原理主義と言われているほどなので、基本的には押井さんと同じことをやっているつもりだし、そうしていくつもりだったのだが、『イノセンス』という作品よりも『SAC』が先行していくに当り、乖離が生まれていった。
僕と押井さんは15歳年齢が離れているが、経験しているものも、積み重ねたものも違う。
例えば、両作品のアフレコを例に取ると、『SAC』と『イノセンス』は同じ声優さんが演じておられる訳だが、押井さんは『SACのアフレコで慣れた声優さんの演技に対し、『イノセンス』の肉体の喪失というテーマと比較して『若々しすぎる』『変な癖がついている』と感じられたそうで、僕は僕で疲れた感じが出すぎている声優さんの演技に対し『押井さんの演技指導より15歳若く演じて下さい』とお願いした。幸い、声優さんたちはプロフェッショナルの方たちばかりなんで『ああ、なるほど』とすぐに要望通りの演技をして頂けたのだが、
同じ原作、同じ作品を扱っていた筈なのに、押井守と神山とでは差が生じてしまった。こういった例からも、同じことをする=並列化しても、個性は生じるのだ、と感じている。作品の中では並列化することで逆に個性を獲得していくというコンセプトの方が面白いのではないかということでタチコマにこれを取り入れた。
また、最近のSFには元気がない=明るい未来というものが感じられないということから、個性を獲得し、自己犠牲の精神までを得るというものを描いた。定番だけど何かしら付加価値を示せたのではないかと思っている」
瀬名 「その意見は大変面白いもので、例えば『ゲッターロボ』、『マジンガーZ』というプロジェクトを立ち上げた時に、石川賢氏、永井豪氏はそれぞれ同じようなコンセプトから出発したのに、結局は同じようなことをしているが故に個性というようなものがそれぞれに芽生えたとも言える。同じことをしていてこそ、そこにクリエイション行為が表れたとき、それが個性と呼べるものになるのではないか。例えば、昨今、マクドナルドのように完全にマニュアル化されたような場所でバイトする人も多い訳だけど、人の方がよっぽどロボットっぽい。それについては?
神山「経験としては、やはり最近I.Gに入ってくる若者でも確実に個性というものは希薄になってきているとは感じる。だけど、ある時突然伸びる人とそうでない人がいる。その違いというのは一体何なのだろうか、ということを考えると、結論としては不明なのだけど、具体的なものを見られた人は伸びている気がする。瀬名さんのマクドナルドの例でいうと、例えばマニュアル対応をして、老人の人がきたときに、そのまま仕事だからとマニュアルのまま対応する人と、ああ、聞き取りづらいかも知れないな、とゆっくり喋ってあげようか、ということを考える人では、具体的にゆっくり喋ってあげようか、という人の方が明確なイメージがある」
I.Gに入ってくる新人はやっぱり『攻殻が好きだから』という理由で入ってくる人も多いのだけど、自分のイメージと違うとダメ出しをする。ここまでは誰でもする。だけど、その先ダメな人は別の作品を作りたいと言い出す、旧来の否定だけで終ってしまう。まずは同じものを作ってみて、初めて差に気付くのでのではないか。その違いを見た人が伸びるのではないかと思う」
瀬名「それこそがさっき出たメタ意識、我に返る瞬間かも知れない。少し脱線気味になるけども、小説を書くときに、ロボットと人という問題を扱いたいと思うと、描き続けていてある瞬間『ロボットって何だろう、人って何だろう』って究極的なところで突き詰めなければならない瞬間があると感じる。ロボットの制作も、その我に返る瞬間と同じで人間らしさ、ヒューマニティとは、人類、人間性、慈愛等に分類すると、21世紀はヒューマニティコンセンシャスの時代かも知れないと感じる。少し時間が足りないのであまり触れられなかったが、ロボットのキラーアプリはヒューマニティではないか、と感じることがある」