ロボットに「心」は宿るのか? ~『攻殻機動隊』に見るヒトとロボットの未来社会~(3/4)
瀬名「ロボット技術者に求められるものについても、少し話して頂くよう、依頼が出ているのだが」
神山「基本的にアニメという虚構を扱う人間なので専門ではないが、どこに辿り着きたいかが問題であろう、と。車ならスピードを追求するとか。パワードスーツ的なものは、目的が比較的明確だけど、汎用ロボットというのは、落としどころが難しい。人型は難しいので挑戦したみたいという夢の追求等もあるだろうが、ヒューマノイドは汎用性はあるが用途が判り難い。『そのロボットをどうしたいか』という今のところ存在していないキラーコンテンツの確立が必要なのではないかと思う」
瀬名「その何を扱うか、ということに関してはもう少し虚構というものの蓄積が必要ではないかと感じる」
神山「ずっと『攻殻機動隊』という作品を作ってきて、まあ『マトリックス』という映画があって、それも
『攻殻』が影響を与えたと言われている訳だが、あれを見ると疑問に思うことがある。マトリックス世界を作ったのは基本的に反乱を起した機械ということになっているけど、実はあれは人間が作ったのではないかといつも思う。基本的に怠惰な生き物な人間は、みんなそっちの方に行きたがるような気がする。そういうことに興味があるので、マトリックス世界は機械が作ったのではなく、人間が作ったのではないか、ということ見据えて、脳とネットを繋ぐということ、義体や電脳化するということを問い直せれば良いなぁと考えている」
瀬名「首のジャックインとか影響を受けていると言われているが、80年代にサイバーパンクと言われたようなものでは割とありふれたものな訳だが」
神山「それと今を比較すると当時は『気持ち悪い』と思われたが、今ではもうこんなに小さくなった携帯電話を頭の中に埋め込むと言われてもそんなに抵抗のない時代になってきていると思う。ビジュアル的にも判り易いし。だいたい、ビジュアル化されたものというのは実現するので、近い将来、首の後ろではないかもしれないけど、直接コンピューターにジャックインで繋がるようなこともあるかも知れない(参照 Wired
News - 進化する「脳-コンピューター直結インターフェイス」 - Hotwired)。時代がそれを理解してくれるようにようやく追いついたのかという印象はある。電脳化することで社会がどこまで見渡せるかという点には疑問が残るが」
瀬名「ああいった、体を飛び出た精神がどうなるのかということを、自分としても臨床的に一度小説として突き詰めてみたいと思うことはあるのだが」
瀬名「英語圏では、人と世界の関わり方というのは、全てが神の創造物という意味において平等ということで、それが言葉の使い方にまで影響している訳だが、日本ではこれは人間関係というものであっても微妙な上下関係を作って、必ずしも平等ではない。そういった世界という、ものの捉え方というものも、機械とかAIに対する捕らえ方の違いがあって、AIの研究や視点というのはまだまだ考える余地があると考えている」
質問者「パワードスーツ型・自立型とロボットには種類があるという話が出ましたが、どれが一番必要と考えますか?」
神山「どれ、ということになると、コミュニケーションの対象として自立型ということになると思う。人間でもいろいろできる人よりも、何かに特化している人の方がシステムの中で生き残れるし、汎用ロボットよりも何かに特化したものの方が必要とされるような気がする」
質問者「踊りを踊るロボットの話が出ましたが、踊りの師匠はそこに到達するまでにかなりの経験を要したはずですが、この先機械にどんどんそういった経験すらコピーされてしまうようになっていくと、人間はどうなってしまうと考えますか?」」
神山「アニメの制作でも職人芸というものはあまり必要なくなってきた。そういう風になっていってしまったら、人間は怠惰な生き物なので、ある程度やらなくなってしまったりするのは仕方がないがとは思うが、ツールがある程度そういうことを緩和していくとは思う。極めた技術をインストールしたり、とか。また努力と簡便さのどちらも必要だが、最終的にはインスタントな方がいいと思う。また、そういった伝統などをデジタルデータ化することには意味があると考える。師というの は“青は藍より出て青は藍より青し”というようなことを
恐れたりもするが、芸の継承とは劣化コピーである場合もある。でももしその人に弟子がいなかったら、たとえ機械でも伝承できるということは嬉しいことではないかと思う」
瀬名「例えば、模倣されることを前提とした、ヴァーチャルアイドルみたいなものが登場したとしたら、どうか?」
神山「本来、芸の継承とかは継承のためのコピーだったものが、コピーされることを前提としている場合には、そのアイドルが嬉しいか、とかが問題になる。ロボット技術とアイデンティティはどうなるか、ということになると、真似されるからこそもっと努力するのかとか、真似されるからこそ努力しない・放棄する、とかの『決断する』という行為自体がアイデンティティになり得ると考える」
神山「モノを作るということに対して言えることは、世の中には既存のシステムがあって、そこには乗らざるを得ない。システムに呑まれて、大抵の場合はストレスを感じることになる。が、一度、システムに巻き込まれて、それに耐え、突破することで、初めて得られるものがある。簡単に言えば、諦めないでやってほしい」
瀬名「色々な一流の学者という人と対談したりする機会があり、一流の学者という人と沢山面識をもっていると、そういう人たちが持つ共通項みたいなものに気付く。そういう人たちは自分たちが初めてその世界を覗こうとする、その過程を作ろうとする。それがまさにビジョンを持つということで、その視点をつちかうにはその人の経験がモノを言う。そういう人たちはその経験から出る視点を見つめて、それを見えるように、他人に見せられるよう工夫して、それを遍くビジョンへと広められる人たちである。そういう人が一流の学者という人なのではないかと、最近は感じている」